2016/09/01
ニューヨーク行きの機内で、はっとした。ガイドブックを買い忘れた。はじめて行く国にはたいていガイドブックを持っていく。アメリカははじめてではないものの、どこに何があるのか、ほとんど何も知らないということに今になって気づいた。
5、6年前、SPACでコロンビアのボゴタ演劇祭に参加したとき、コロンビア出身の演出家オマール・ポラスさんに、アンデス山脈に連れて行ってもらったことがある。満天の星の下で、インディオのタバコを使う儀式を教えてくれた。そうか、ここは新大陸ではなくて、とても古い文化があるところなんだ、と急に実感した。それ以来、自分とこの大陸との関係が少しずつ変わってきたような気がする。
なぜアメリカなのか。最近アジアのアーティストと出会う機会が増えてきた。多くのアーティストから、アメリカで学んできたという話を聞いた。フランスとかドイツなどというのは少数派だ。思えば日本でも、おおまかにはそうだろう。なぜアメリカに行くのだろうか。自分はそんなことは夢にも思わなかったのに。・・・というのはウソで、本当は、単に英語ができなかったり、競争率が高そうだったから、はなから諦めていたのだと思う。アメリカ文化への憧れは、常になにがしかの畏れとともにあった。
今回、どうしてもアメリカに行きたいと思ったのは、演劇祭のプログラムを組む仕事にも自分の研究にも、行き詰まりのようなものを感じてきたからだ。ヨーロッパ中心の演劇史を批判的に検証するような仕事をしようとしてきたが、自分がまともに学んできたのがほとんどそれだけなので、そこから離れてしまうと、軸足を失ってしまう。そのためにも、パフォーマンス・スタディズのことをもっと知らなければ、と思った。
アジアのアーティストがアメリカを選ぶ理由はいろいろあるだろうが、一つには、ヨーロッパ的な演劇史の束縛が小さいこともあるに違いない。ヨーロッパで演劇を学ぼうとすると、ソフォクレス、シェイクスピア、ラシーヌ、イプセン、チェーホフ…といった作家中心の演劇史を学ばざるをえない。だが、アメリカから見れば、これもいわばヨーロッパローカルな歴史に過ぎない。アテネもローマもパリも、北京や東京やジャカルタも、いわば等距離に見るような視点が可能になる。今夜はピザにしようか、ラーメンにしようか、というくらいの。このあたりが、アジアの多くのアーティストにとって、ヨーロッパよりもずっとやりやすいところなのではないだろうか。シンガポールのオン・ケンセンも、フィリピンのクリス・ミリヤードも、ニューヨーク大学のパフォーマンス・スタディーズ科でバリ島の演劇について学んだのだという・・・。
そんなわけでこれから6ヶ月間ニューヨークに滞在し、Asian Cultural Councilのグラントをいただき、アジアのアーティストたちへのパフォーマンス・スタディーズの影響やアメリカ在住のアジア系アーティストについてリサーチをすることになりました。今朝、静岡の田んぼが隣にあるアパートを出て、先ほど、国連本部に近い44丁目のアパートにたどりついたところです。ニューヨークにお住まいの方、これからいらっしゃる方、ぜひお声をかけてください。
http://www.asianculturalcouncil.org/japan/grantee_2016/
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