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日本における「演劇」というフレームワークについて 2018年7月28日

日本における「演劇」というフレームワークについて

(「舞台芸術」のフレームワーク問題についてのメモ)

日本において「演劇/theatre」をコロニアルなフレームだと考えるのは、厳密には正確ではないかもしれない。このフレームワークを取り入れた時代、日本はむしろ積極的に「列強」に肩を並べ、植民地を持つ側に歩みを進めていた。のちには植民地の住民がこのフレームワークを取り入れる契機を作ることともなった。(この意味で「コロニアルな」フレームワークではあった。)

そして能や歌舞伎が「演劇」と見なされたことで、このフレームワークがコロニアルなものと見なされる契機はほぼ失われた。これは日本の「演劇」界でポストコロニアリズムが定着しなかった理由の一つでもあるだろう。

だが、それによって「伝統演劇」と「現代演劇」との間に連続性を形成することには必ずしも成功していない。旧植民地が「先進国」を追い越そうとする今日の世界で「演劇」という日本語のフレームワークについて考えるには、もう一度、自分がどこにいるのか、どちらに歩みを進めようとしているのかを見つめ直す必要がある。 

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「舞台芸術」のフレームワーク問題について ~2030年代に向けて~ 2018年7月24日

「舞台芸術」のフレームワーク問題について ~2030年代に向けて~

(ON-PAM政策提言調査室での国際交流をめぐる議論のためのメモ)

「舞台芸術」のフレームワーク問題、というのは、たとえば22世紀に、今私たちがやっていることが語られる枠組みは何なのだろうか、といった問題です。それは「演劇史」ではないかも知れないし、もしかすると「舞台芸術史」でもないかも知れません。

というと、ずいぶん先のことだと思うかも知れませんが、私はこれから2030年代までが、この先どんなフレームワークが世界的なものになっていくかを決定づける重要な時期だと考えています。

「演劇」という概念にそろそろ賞味期限が来ているのではないか、と思っている人は少なくないと思います。今我々が使っている演劇という概念は、基本的には明治時代に西洋のtheatre/Theater/théâtre・・・といった概念の輸入語として使われるようになったものであり、そのもとをたどれば、16世紀から19世紀に西ヨーロッパで形成されてきた概念です。

西ヨーロッパの近代において、演劇theatre、ダンスdance、オペラoperaという3つのジャンルが、それを上演する仕組みと、そのための人材養成の仕組みとともに、制度として形成されてきました。この西欧近代における演劇の定義は、ジャンル規定は、歌と踊りの排除を基準としている以上、他の地域、他の時代の舞台芸術には必ずしも当てはまりません。この話劇としての近代演劇の起源として、いわゆる「演劇史theatre history」なるものが書かれるようになり、そこに古代ギリシアにあったtragoidia, comoidiaといったジャンル(これらのジャンルはtheatronと呼ばれてはいませんでした)や16世紀以前のpassionmystère(「受難劇」、「聖史劇」などと訳されます)といったものが、改めてtheatreとして語られるようになりました。

そして20世紀の後半になって、ようやくこの演劇やダンスといった分類、制度そのものを見直そうという動きが出てくる中で、今我々が語っている「舞台芸術英:performing arts / 仏:arts du spectacle」という言葉が使われるようになってきたわけです。でもこの言葉も、本当に適切な、あるいは有効な言葉なのかどうかは、もう数十年吟味してみる必要があるでしょう。

そもそも、この言葉に対応する西洋語については、英語とフランス語で、だいぶ語義が違っています(他の西洋語についてはよく知りませんが)。

英語の方には、とりわけ1970年代以降にはパフォーマンス・スタディーズ(パフォーマンス学)の影響があります。そして、この「パフォーマンスperformance」という概念は、「舞台芸術」という概念に代わり得る概念でもあります。

1980年代以降、演劇やダンスといった概念自体を見直そうという動きの中で、少なくとも西洋において、この2つの概念は、いわば競合関係にありました。

この2つの概念の大きな違いは、舞台芸術という概念は近代西欧において形成された「芸術art」という概念、そしてその芸術のうちの「ジャンル」という概念(そしてモダニズムにおけるジャンルの固有性・純粋性という概念)をある程度温存する志向を持っているのに対して、リチャード・シェクナーが提唱した「パフォーマンス」という概念は、むしろそれを解体する志向を持っていました。

ヨーロッパにおいては、「舞台芸術」に対応するarts du spectacleといった言葉が、オペラ・演劇・ダンスだけでなく、サーカスやストリートアートまでを含むものとして使われるようになり、さらに各ジャンルが拡張されて、また「複合領域的なもの」をも包含しうるものとして使われるようになりました。「パフォーマンス」という概念が非英語圏ヨーロッパにおいて普及しなかった理由としては、近代的「舞台芸術」各ジャンルが制度として強固に確立していたことだけでなく、performanceという言葉が英語特有のもので、他の西洋語に対応する言葉が見出しにくいという事情もありました。ヨーロッパで「タンツテアター」や「ポストドラマ演劇」のような言葉が流行したのには、ヨーロッパにおいては既存の「ダンス」「演劇」といったジャンルを拡張する方が(少なくとも短期的には)現実的だからでもあります。

ですが、個人的には、「舞台芸術arts du spectacle」よりもシェクナーがアジアやアフリカなどその他の地域の実践、さらにはスポーツや政治、日常生活における「パフォーマンス」にまで目を向けたうえで作り上げた「パフォーマンス」という概念のほうが、長い目で見れば有効性があるように思っています(そう思って、一昨年シェクナーの授業を受けにアメリカに行ったのでした)。

でも、この概念がアメリカにおいてすら十分に制度的に普及しなかった理由の一つは、ニューヨーク大学にパフォーマンス・スタディーズ科ができた1980年以降、アメリカがむしろ内向的になっていってしまい、60年代~70年代の第三世界主義的動きが退潮していった事があります。結果として、アメリカにおいても、「パフォーマンス」という言葉の便利さを生かしつつも、旧来の制度を解体することなく活用できる「パフォーミング・アーツperforming arts」と言う概念の方が、より実践的とみなされて使われるようになっていきました。

では「パフォーマンス」の方にはもう未来がないのかというと、そんなこともなさそうです。シェクナーに学んだWilliam Huizhu Sunは中国に戻り、上海戯劇学院でパフォーマンススタディーズを教え、他の大学にも広がりつつあります。パフォーマンススタディーズは中国語で「表演学」あるいは「人類表演学」と訳されています。この「表演」という表現は、中国語圏ではperformanceの訳語として普及していて、「表演芸術中心(performing arts center)」といった劇場名も見られます。

日本語では、近年芸団協が「実演芸術」という言葉を使っていて、文化行政においてはときどき微妙な選択になっていますね。ここでは「音楽」を含むか否かも問題になっています。

今私たちが行っていることが、一〇〇年後の22世紀にどのような概念、どのような枠組みで記述されるようになるのかは、今から2030年代にかけて、中国・インド・インドネシアにおいてどの言葉が使われるようになるのかにもかかっています。たとえば、テアトル・ガラシのUgoran Prasadは今、劇作家レンドラを中心に語られてきたインドネシア「演劇史theatre history」を、コンテンポラリーダンスの「振付家」と見なされているサルドノ・クスモを中心に書き直そうとしています。これはtheatre/Teaterという概念をインドネシアの実践に適合させていく動きと考えられます。22世紀に使われる概念は、英語やフランス語を基準にした言葉ではなく、「戯劇」や「戯曲」といった中国語の概念が基準になる可能性もあります。この際、もちろん歌舞伎・能・狂言・文楽を「演劇」という語で語ることで独自の「演劇」概念を形成してきた明治以来の日本の経験も一定の役割を果たしうると思いますが、今はこれを世界の他の地域の人々と議論し、共有する機会があまり持てていないように思われます。

今から2030年代にかけての決定的な時期に、私たち日本語話者が、世界の「舞台芸術界」の新たな枠組み形成において役割を果たせるか否かは、ここでの議論にもかかっているのだと思います。

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特異点が集まるところ/オリヴィエ・ピィ、アヴィニョン演劇祭2018(第72回)によせて(試訳) 2018年7月18日

「金融界、財界、政界にとっては、メッセージは一つしかない。「この道しかない」。「この道しかない」というのが、私たちの時代の合い言葉で、政治上のプラグマティズムの定義そのものでもあるようだ。この道しかない。経済成長のみがより良い生活をもたらす。富の再分配がなされないのは必要悪だ。ビジョンといえるものを提示できるのは経済だけで、文字/文学(les lettres)は数字によって完全に置き換えられる。「この道しかない」という主張には、証拠の暴力性と数量の残酷さがある。2008年の恐るべき金融危機のあと、規制緩和、租税回避、労働の民営化、そして常軌を逸した金融投機がかつてないほどに再開され、往々にして中央銀行や政府までがそれに加担している。

いくら考えてみても、市場経済の他には道はない。市場経済自体による定式化のなかで「他の道」を考えなければならないのだとすれば。

政治権力が金融権力に徐々に置き換えられていく過程は、つねに不可避のものとして進行する。神授王権と同じように必然的なものとして。だが、世界の未来を決めている一握りの大富豪にとってこの不可避性がいかに有用なものだとしても、私たちはこれに満足しているわけにはいかない。

今度は私たちがこのように言う番だ。「文化と教育、この道しかない」と。それがもう何度も言われてきたことだとしても。聞く者のいないところで、何度も何度も叫ばれてきたことだとしても、少数者が、それに耳を傾けてくれる別の少数者に向かって語っていることだとしても。問題を、もう一つの欲望の光の下で考察してみる他に、道はない。

違う。芸術はネオリベラリストに心の慰めを提供したり、課税軽減分を精神的なもので補ったり、私たち自身の無力さと優雅で贅沢な調停をするためにあるわけではない。芸術とはまさに、何もかもが不可能であるかのように見えるとき、そして支配者たちが自分たちの権力を確かなものにするためにこの不可能性を標榜するときに、可能性の扉を開いておいてくれるものなのだ。

リベラルな世界の問題を解決するのは、もっとリベラルな世界だけだ、という論法にも、他に道はある。視点を変え、視野をより高みに移し、私たちの勝利ではなく、来たるべき世代の勝利のために闘いはじめなければならない。「歴史」は信じられなくても、まだ未来を信じることはできる人々に、明晰な見通しという絶望を乗り越えて、鮮烈さという希望へと導いてくれるのは芸術なのだ。

だが時として、私たちはなんと孤独になり、途方にくれ、気力を失ってしまうものだろうか!エネルギーに満ち、精神性をもったあの変化の力、所有よりも知識を、略奪よりも驚嘆を、無駄なテクノロジーを購入することよりも他者との出会いを欲望させる変化の力は、どうやって見いだせばよいのか。意味だけでなく地球をも破壊してしまう生活様式とは異なる道は、その力から生まれるはずだ。

長い間、人は一人では世界の暴力を転覆することはできない、と考えてきた。様々な闘争を収斂させて、反抗する群衆を作り出す政治的組織のみが世界を変えることができる、と考えてきた。だが、新世代は寄せ集めの集団よりも特異点(singularité)を信じている。特異点とは物理学者たちがブラックホールの全能の中心に与えている名だ。そこで発生する未知のエネルギーは、時間を止めるほどの強さをもつ。これは芸術というものの完璧な定義といっていいだろう。時間をねじ曲げ、不幸の連鎖を止めてしまうほどのポジティヴなエネルギーが集中する特異点。それは時間を越えた表象/上演(représentation)の神秘のなかで到来するものだ。共同体が意味の中心へと収斂すると同時に、政治上のあらゆる他の道が開ける。だからこそ舞台芸術は一つの超越なのだ。超越だというのは、それが私たちに単一の神の力を崇めることを要求するからではなく、集団のなかには特異点の集積があり、それが調和しさえすれば、本当に時の流れを変えることができるからだ。集団はそれ自体超越であり、客席の暗闇のなかでその沈黙を聞くことで、私たちは集団の経験を更新することができるのだ。

私たちは希望をもっている。政治は私たちの未来を、経済的必然性や金融の薄暗い神々に委ねてしまわないようなものに変化しうるのだ。来たるべき世代たちが可能性への陶酔をもちつづけることができるように、私たちは、別のものを欲望することを学びつつある。」

特異点が集まるところ(Singularités)/オリヴィエ・ピィ(劇作家・演出家、アヴィニョン演劇祭芸術監督)、アヴィニョン演劇祭2018(第72回)によせて(試訳)

原文:以下でダウンロードできるProgramme completやGuide du spectateurなどの巻頭に掲載。
http://www.festival-avignon.com/fr/telechargements

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能はなぜ「演劇」か? (「舞台芸術」のフレームワーク問題についてのメモ)

先日、能はなぜ「演劇」とみなされるようになったか、という話を聞いた。
6/13の日仏ギリシアローマ学会で、「能の地謡は古代ギリシャ悲劇の「コロス」と比較可能か? 」と題されたマクシム・ピエールさん(パリ第7大学、ローマ演劇)の講演。
https://www.mfjtokyo.or.jp/events/co-sponsored/20180613.html

マクシムさんによれば、初めて能を観たヨーロッパ人の多くは、「あの叫び声はチャイニーズオペラと似ている」等、中国と結びつけて記述していた。ところが明治時代に東京帝大教師のチェンバレンが「能はギリシア悲劇に似ている」と言い出して以降、その比較が外国人知識人の間で流通していき、野上豊一郎など日本人研究者もそれに倣うようになった、という話らしい。お雇い外国人が自分の雇い主に箔をつけようと、中国などと差異化しようとした、という意図もあったのかも知れない。

(cf. 能に関するチェンバレンの記述の試訳・原文英語)
「結果は古代ギリシア悲劇に驚くほど似たものだった。三単一の法則は、一度も理論化されることはなかったとはいえ、実践においては厳密に守られている。そこには同じ合唱隊がいて、同じ態度の俳優がいて、往々にして仮面をかぶっており、屋外で座っているのも同じで、全てを同じ宗教的ともいえる雰囲気が貫いている。」
Collected works of Basil Hall Chamberlain, vol. 6, Synapse ― Ganesha Publishing, Tokyo-Bristol, 2000, p. 341-342

(チェンバレン以前の記述については、以下の最近フランスで出た研究にもとづいている。Jean-Jacques Tschudin, L’éblouissement d’un regard. Découverte et réceptions occidentales du théâtre japonais de la fin du Moyen Âge à la seconde guerre mondiale, Toulouse, Anacharsis, 2014)

つまり、まず古代ギリシア悲劇が近代のtheatreの起源として遡行的にtheatreとされ、さらに能がそれに「似ている」としてtheatre と見なされて、theatre 概念が拡張されていったことになる(もちろん、これは「能は演劇だ」という言説が成立した一要素であって、他の要因もあるだろうが)。
最近能の研究をしているマクシムさん(在日フランス大使館文化部で働いていたこともあり)の発表の趣旨は「ギリシア悲劇のコロスと能の地謡は(共通点を指摘する研究者は多いが)演劇的機能をかなり異にしている」という内容。「能は能だ、theatreではない(Noh theatre is no theatre)」というのがオチ。
歴史的背景の異なる実践をまとめてジャンル分けすることには、政治的文脈などの恣意的な要素もかなり影響してくる。日本でつくられた舞台芸術がこれからどのような形で世界的に評価されるかは、どんなフレームワークが形成されていくかにも関わってくるだろう。

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