2016/10/21
ラ・ママ実験劇場(La MaMa Experimental Theatre Club)で芸術監督のミア・ユウさんにお話をうかがった。ラ・ママは今年55周年。(よくご存じの方には特に目新しいことはないでしょうが・・・。)
ラ・ママはファッションデザイナーをしていたエレン・スチュワートが、地元イーストビレッジ近辺に住む知り合いの若手劇作家を支援するために始めたものだった。そこで活躍の場を得たサム・シェパードなどが、やがてアメリカを代表する劇作家になっていく。エレンはアメリカのカンパニーをヨーロッパにも紹介していった。そして、ヨーロッパで出会ったカンパニーをラ・ママで紹介。そのなかで、エレンは国際交流によって得る刺激の重要性を実感し、ラ・ママを演劇による国際交流の拠点にしていこうとする。アジアにも旅するようになり、寺山修司や大野一雄、鈴木忠志などもラ・ママを通じてニューヨークに紹介されていった。
エレン・スチュワートはアフリカ系、最近2代目の芸術監督に就任したミア・ユウは韓国系で、日本人のスタッフもいらしたりする。今のニューヨークでも珍しいくらいに出自の多様性が高い劇場だろう。ラ・ママの活動によって、かつてはむしろ避けられていたような街が、劇場やギャラリー、カフェ、バーなどが密集する一大文化拠点となっていった。その功績を讃え、ラ・ママがある通りは「エレン・スチュワート通り」と名付けられている。一方で、そのために地価が高騰し、以前からの住民が住みにくくなっているという問題もある。これはソーホーやブルックリンなどにも共通する課題。
ラ・ママは現在、劇場の建物が2つ、稽古場が1つ、ギャラリーが1つと、全部で4つの建物を管理している。年間60から70近い作品を上演。興行収入よりもファンドレイズで得ている収入のほうが大きく、これによってリスクの高い実験的な作品を上演することが可能になっている。20から30の「レジデント・カンパニー」があり、その他にも数多くの「レジデント・アーティスト」が、米国のみならず世界各地からやってきて、ラ・ママを拠点に作品を制作している。
ミア・ユウはもともとエレン・スチュワートがルーマニア出身の演出家アンドレイ・シェルバンとともに立ち上げたレジデント・カンパニー「グレート・ジョーンズ・レパートリー・シアター」の女優として活躍していたが、1990年代からラ・ママで制作の仕事もはじめ、2000年を過ぎた頃からエレン・スチュワートのアシスタントとしてフルタイムで働くようになった。エレン・スチュワートの死を受け、2011年にラ・ママの芸術監督に就任。パフォーマーとしての仕事はここ10年ほどしていないが、これから再びレパートリーシアターの舞台に上がる予定があるとのこと。
エレン・スチュワートについては、たとえば以下の記事がある。
http://www.wonderlands.jp/archives/17375/
http://www.praemiumimperiale.org/ja/laureate/music/stewart
ミア・ユウさんについてはこちら。
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