なぜ
日本でも多くの若いアーティストたちがレジの仕事に影響を受けている、と伝えた。
若い女優の一人も、京都の友達が何人も彼の作品に感動した、と付け加えた。
レジは彼女に、「なぜ?あんなに観るのがしんどいのに」と言った。彼女は笑っていた。
アレクサンドル・バリーによれば、その前の週にヴァレリー・ドレヴィルが訪問してきた際、レジは、静岡に戻って『室内』で一緒に働いた俳優たちに再会するのが夢だ、と語ったという。ヴァレリー・ドレヴィルの名前を聞いて、1999年に初めて見たレジの作品『誰か、来る』を思い出した(ドレヴィルはその主演女優だった)。そしてレジに、この作品のことをよく思い出している、とても感動した、と伝えた。
そこで、レジはこう言った。
「感動しつづけなさい。それが人生のなかで唯一、意味のあることだから。
俳優は作者の書いたテクストを外国語のように聞いて、それが頭の中で翻訳される。
その翻訳がよかったら、観客も感動するんだ。」
この瞬間、なぜレジがいつも「なぜ」と聞くのか、分かった気がした。本当にそれが分からないから、知りたいのだ。
私はいつも、この「なぜ」が怖かった。私にも、何度もこの質問が投げかけられたのだが、一度もちゃんと答えなかった。
心が動くには、知らないものがあるということ、自分を超えたものがあるということを受け入れなければならない。だから「感動しつづける」というのはすごく難しい。
どうも、『室内』の稽古のあいだも、レジはよくこの言葉を口にしていたらしい。俳優が「感動する」ことなく、すでに知った道をたどるとき、レジはすぐにそれに気づく。
レジのもとを去るとき、ようやく「レジさんの作品に出会わなかったら、劇場で働くこともなかったと思います」と告げることができた。
レジさんは「いいことを聞かせてくれた」と言ってくれた。
このことを制作のベルトラン・クリルさんに話したとき、「彼と働いている人の多くはそうだよ」という答えが返ってきたのを思い出した。
また彼から「なぜ」と聞かれたとき、なんて答えようか、いまだに考えている。
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