また一つ歳をとって最初に見た夢は、字幕操作担当なのに本番に遅刻する夢でした。歳をとっても、本番に弱いのはなかなか変わりません。。。
昨年はふじのくに⇄せかい演劇祭も東京芸術祭も大学の授業もなんとかライブでできてよかったですが、思えばいろいろな集まり方を体感することができた三年間でした。
一昨日、スウェーデン人の義弟に会い、スウェーデンでロックダウンがなかったのは、もう二世紀ほど戦争がなかったために、そもそも非常事態のための法律というものがなく、議会を通してしか何も決められなかったからだ、という話を聞きました。同時に、議会にも専門家の意見にきちんと耳を傾けた上で議論をするという文化があり、医療の専門家たちは社会的・精神面も含めロックダウンの悪影響の方が大きいという意見を出し、国民的な議論を尽くした上で結論を出したとのこと。最終的にどの対処法がよかったのか、歴史的な評価をするにはまだまだ時間がかかるでしょうが、多くの方が議論に参加し、納得した上で結論を出すという文化をつくっていかなきゃと思いました。
授業やいくつかのシンポジウムをオンラインでやってみて、オンラインだからこそ発言できる方、発言しやすい方もいるんだな、というのも体感できました。ライブで会議をすると、円卓でも「えらい人」の近くにいる人ほど発言する傾向があったりしますが、Zoomでミーティングをするとより水平な関係性がつくりやすくはありますし、そもそも遠方にいたり、家庭の事情があったり、障害があったりでなかなか現地に集まれない方も参加できます。オンラインの方が体格差が気にならないし、声が小さくても発言しやすいという方、チャットなら発言しやすいという方もいました。自分も家庭の事情でなかなか移動できなかったので、助かりました。
とはいえ、ふじのくに⇄せかい演劇祭をライブでやってみると、オンラインイベントにはほとんど参加していない、という方にもけっこう出会いました。技術的に参加が難しい方もいれば、スマートフォンやパソコンを持っていない、使いたくないという方も。昨年はライブでしか出会えない方との再会も多かったように思います。
大学の授業では「ヒトはなぜ歌い、踊り、語り、演じるのか? 生物学から舞台芸術を考える」というテーマを扱ったところ、音楽やダンスに興味がある方にたくさん出会えたのは楽しかったです。一方で、ここ数年演技論を扱っていたときは演劇に興味がある方が多かったのですが、今回は演劇に関心があるという方は少数派で、音楽やダンスの世界と演劇の世界の間のちょっとした分断も感じました。演劇をやっている方のなかにも、歌や踊りに苦手意識があったり、その一体感をつくる力に警戒心をもっている方がいらしたりします。でも授業で体の動きや声を使ったワークショップをしていただくと、言葉による対話だけではなかなか伝わらないものが共有できることも体感できました。私は歌って踊るのも演じるのもどちらも苦手ですが、自分がこの世界に身体をもって生きているということと少しずつ和解できてきたような気もしています。
いろんな出会い方をしているそれぞれの現場で、「みんな」のイメージが少しずつ違うのに、そこにいる人だけで「みんな」だと思えてしまうことも体感できました。どうしたらそんな複数の「世界」をつなぐことができるのか、今年もゆっくり考えていければと思っています。
今年もいろんな方が気にしてくださったようで、本当にありがとうございます。昨年も多くの方々に大変お世話になりました。今年も何卒よろしくお願いいたします。
コメントを残す