今世紀に入ってから、ヨーロッパの劇場でもあまり古典が上演されなくなってしまったのはなぜか。『ラクリマ、涙~オートクチュールの燦めき~』を作ったカロリーヌ・ギエラ・グェンのインタビューを読んでいると、その理由の一つが見えてきます。
カロリーヌ・ギエラ・グェンがストラスブール国立演劇学校に入ったとき、同期では唯一の「非白人」でした(最近のフランス語では「人種化された人racisée」と言います)。カロリーヌはそこで初めて見た劇作品を聞かれて、オデオン座でパトリス・シェローの『フェードル』を見た、と嘘をついてしまったと言います(パリの国立劇場で、有名な演出家によるフランス古典悲劇の名作を見た、というわけです)。
本当はもっと大衆的なコメディでした。子どもの頃、両親が車で8時間かけてパリの劇場に連れて行ってくれたのだそうです。カロリーヌのお母さんはベトナム出身、お父さんはアルジェリアに入植したユダヤ人の子孫で、南仏の小村に住んでいました。家の近くには劇場など一つもなく、当然劇場に行くという習慣もなかった。「地球人の大半と同様に」とカロリーヌは付け加えます。
先生に勧められてストラスブール国立演劇学校を受験し、入ってみたら、まわりは自分がこれまで聴いたこともなかった音楽を聴いていて、存在も知らなかった本を読んでいる。そのなかで、これまで着なかったような服を着て、南仏訛りを封印して、一生懸命溶け込もうとした。卒業公演ではシェイクスピアの『マクベス』を演出したものの、それが自分となんの関係があるのか、最後までよくわからなかった。従兄弟が見に来たけど、俳優たちが話していたのがフランス語だったということすら分からなかった。あまりに言葉が難しくて。
それでもう演劇はやめようと思って、大学の法学部に行こうとしたら、お母さんから「演劇学校に行くために1万5000ユーロのローンを組んだのに、どうやって返すつもりなの!」と怒られた。それで必死に演劇の仕事を探しているところに、劇場から声がかかって、アマチュアの出演者と作品を作るようになった。最初の頃は古典に参照したりもしたものの、なんで死んだ男が書いたものによって自分の作品を正当化しなきゃいけないのかわからなくなってやめた、とのこと。
ヨーロッパ演劇で「古典」というと、シェイクスピア、ラシーヌ等々と、ほとんどは白人男性の劇作家が書いたものです。もちろん、長年上演されてきただけあって、そこにはそれなりの豊かさはあるわけですが、当然、どう探したってそこには書いていないこともある。あるいは、書いてはあるけど納得のいかない書き方だったりする。だとすれば、もっと別のところに物語を見つけたほうがいいんじゃないか。もっと別の書き方、作り方をしたほうがいいんじゃないか。そう感じる作り手が出てきて、それに共感する観客が出てきたのは、自然なことだと思います。
カロリーヌが生まれ育った小村では、「遠くから来た人」はもう一家族だけでした。その家族の子どもたち三人が同じクラスにいたのに、ある日、その三人も急にいなくなってしまった。父親がアラブ系だったために広場で銃で撃たれて亡くなり、家族も去っていった。カロリーヌは少女時代、「差別を受けたことがあるか」と聞かれ、いつも「ない」と答えたと言います。ひどい言葉をかけられたことはあっても、少なくとも身体的な暴力は受けなかったから。
世界はどこから見るかでだいぶ違って見えます。今日はここにいても、明日起きたら別のところにいるかもしれません。『ラクリマ』の主人公マリオンも、やりがいのある仕事をしているつもりが、気がつくと後戻りのできないところまで追い詰められていきます・・・。
劇場では、いつもとはちょっと違う角度から世界を見ることもできます。少なくとも自分の周りだけでもこうならないような社会にするにはどうすればいいか。そんなことも考えられる場です。
SHIZUOKAせかい演劇祭で5/4から上演される『ラクリマ、涙~オートクチュールの燦めき~』、まだお席をご用意できるようです。カロリーヌ・ギエラ・グェンのインタビュー集『心臓演劇』Un théâtre cardiaqueも静岡芸術劇場で販売しています。劇場でお待ちしております。
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