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古典が上演されなくなったのはなぜか 2025年5月1日

今世紀に入ってから、ヨーロッパの劇場でもあまり古典が上演されなくなってしまったのはなぜか。『ラクリマ、涙~オートクチュールの燦めき~』を作ったカロリーヌ・ギエラ・グェンのインタビューを読んでいると、その理由の一つが見えてきます。

カロリーヌ・ギエラ・グェンがストラスブール国立演劇学校に入ったとき、同期では唯一の「非白人」でした(最近のフランス語では「人種化された人racisée」と言います)。カロリーヌはそこで初めて見た劇作品を聞かれて、オデオン座でパトリス・シェローの『フェードル』を見た、と嘘をついてしまったと言います(パリの国立劇場で、有名な演出家によるフランス古典悲劇の名作を見た、というわけです)。

本当はもっと大衆的なコメディでした。子どもの頃、両親が車で8時間かけてパリの劇場に連れて行ってくれたのだそうです。カロリーヌのお母さんはベトナム出身、お父さんはアルジェリアに入植したユダヤ人の子孫で、南仏の小村に住んでいました。家の近くには劇場など一つもなく、当然劇場に行くという習慣もなかった。「地球人の大半と同様に」とカロリーヌは付け加えます。

先生に勧められてストラスブール国立演劇学校を受験し、入ってみたら、まわりは自分がこれまで聴いたこともなかった音楽を聴いていて、存在も知らなかった本を読んでいる。そのなかで、これまで着なかったような服を着て、南仏訛りを封印して、一生懸命溶け込もうとした。卒業公演ではシェイクスピアの『マクベス』を演出したものの、それが自分となんの関係があるのか、最後までよくわからなかった。従兄弟が見に来たけど、俳優たちが話していたのがフランス語だったということすら分からなかった。あまりに言葉が難しくて。

それでもう演劇はやめようと思って、大学の法学部に行こうとしたら、お母さんから「演劇学校に行くために1万5000ユーロのローンを組んだのに、どうやって返すつもりなの!」と怒られた。それで必死に演劇の仕事を探しているところに、劇場から声がかかって、アマチュアの出演者と作品を作るようになった。最初の頃は古典に参照したりもしたものの、なんで死んだ男が書いたものによって自分の作品を正当化しなきゃいけないのかわからなくなってやめた、とのこと。

ヨーロッパ演劇で「古典」というと、シェイクスピア、ラシーヌ等々と、ほとんどは白人男性の劇作家が書いたものです。もちろん、長年上演されてきただけあって、そこにはそれなりの豊かさはあるわけですが、当然、どう探したってそこには書いていないこともある。あるいは、書いてはあるけど納得のいかない書き方だったりする。だとすれば、もっと別のところに物語を見つけたほうがいいんじゃないか。もっと別の書き方、作り方をしたほうがいいんじゃないか。そう感じる作り手が出てきて、それに共感する観客が出てきたのは、自然なことだと思います。

カロリーヌが生まれ育った小村では、「遠くから来た人」はもう一家族だけでした。その家族の子どもたち三人が同じクラスにいたのに、ある日、その三人も急にいなくなってしまった。父親がアラブ系だったために広場で銃で撃たれて亡くなり、家族も去っていった。カロリーヌは少女時代、「差別を受けたことがあるか」と聞かれ、いつも「ない」と答えたと言います。ひどい言葉をかけられたことはあっても、少なくとも身体的な暴力は受けなかったから。

世界はどこから見るかでだいぶ違って見えます。今日はここにいても、明日起きたら別のところにいるかもしれません。『ラクリマ』の主人公マリオンも、やりがいのある仕事をしているつもりが、気がつくと後戻りのできないところまで追い詰められていきます・・・。

劇場では、いつもとはちょっと違う角度から世界を見ることもできます。少なくとも自分の周りだけでもこうならないような社会にするにはどうすればいいか。そんなことも考えられる場です。

SHIZUOKAせかい演劇祭で5/4から上演される『ラクリマ、涙~オートクチュールの燦めき~』、まだお席をご用意できるようです。カロリーヌ・ギエラ・グェンのインタビュー集『心臓演劇』Un théâtre cardiaqueも静岡芸術劇場で販売しています。劇場でお待ちしております。

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「国語演劇」を越えて 2025年4月29日

ティアゴ・ロドリゲスとカロリーヌ・ギエラ・グェンの共通点は、「国語演劇」から脱しようとしていることです。ヨーロッパにおいて、英語はシェイクスピアの言語、フランス語はモリエールの言語と呼ばれるように、演劇は「国語」という制度の成立と深く結びついていました。今にして思えば、20世紀の「演出家の演劇」において、古典の再解釈が盛んに行われた背景には、学校や学生が劇場の顧客として重要だったことがありました。でも、「国語」という制度によって傷を受けた人、そこから排除されている人に目を向ければ、「国語演劇」とはだいぶ異なる世界が見えてきます。

複数の言語が共存する創作の場においては、一人ではコントロールしきれない部分が生じ、ヒエラルキーも変わっていきます。そこからどんな作品が生まれてるのか、気になったらぜひSHIZUOKAせかい演劇祭に足をお運びください。さきほどの『〈不可能〉の限りで』リハーサル、リラックスした雰囲気ながら、俳優もドラマーもかなりドキドキさせてくれました。静岡でお待ちしております!
https://festival-shizuoka.jp/

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「日本の現代演劇」とは何か 2023年2月10日

「日本の現代演劇」とは何か、何であり得るのか、私たちはまだ十分に知らないのかもしれない。日本語で上演のために書かれた多くのテクストは、「伝統芸能」や「伝統演劇」の枠内でしか使われていない。その原因の一つは、テクストと身ぶりや音楽とが不即不離の関係にあるためである。もちろんヨーロッパの戯曲も多くはそうだったはずだが、近代ヨーロッパでは、テクスト中心主義を媒介にして、テクストを当初想定されていた身体性から切り離して上演する慣習が確立した。

もう一つの原因は、日本語で上演のために書かれたテクストの多くが「公論」の形成を目的としていなかったことだろう。一八世紀以降の西欧においては公的資金が用いられる劇場が公論形成の場ともなり、それを目的として書かれる戯曲も出現してきた。さらに、過去のレパートリーもそれを基準として読み直されるようになっていく。

日本では歌舞伎を「旧劇」として否定する「新劇」から近代演劇の歴史が始まったことになっている。「伝統芸能」、「伝統演劇」あるいは「旧劇」をすでに発展段階を終えた歴史の遺物とみなし、西洋の演劇史と接続することで、日本の「近代演劇/現代演劇」の歴史は紡がれてきた。

20世紀以来、ヨーロッパの演劇もテクスト中心主義を問い直し、身体性や音楽性の価値を再発見するための試みを重ねている。だが、「演劇」と呼ばれる枠組み自体がテクスト中心主義と分かちがたいため、そこから逃れるのは容易ではない。「演出家の時代」を経ても、「演出」をテクストと見なす新たなテクスト中心主義以外の道はなかなか見えてこない。

公論の形成だけが舞台芸術の価値だとすれば、言葉を使わないパフォーマンスの多くを排除してしまうことになりかねない。ヨーロッパの公共劇場における舞台芸術は、舞踊や音楽を含むさまざまなパフォーマンスを、アーティストの言葉や企画書によってなんとかテクストに回収させることで公共性を確認してきた。だが、そこで使われている言葉は、本当に身体性の価値を評価できるものになっているのだろうか。身ぶりを身ぶりによって、音楽を音楽によって批判することが可能であり、身ぶりや音楽にアイロニーがありうるのだとすれば、その意味は私たちが今使っている言葉で十分に回収可能なのだろうか。

私が演技論史に取り組んでいるのは、「演劇」の歴史ではなく「演技」の歴史を辿ってみれば、違う道筋が見えてくるのではないかと思ったからだ。テクスト中心主義へと向かう演技論史を、そのローカルな文脈のもとに置き直してみるだけでも、それがどれだけ特殊な状況で成立したものなのかが見えて、その普遍性を問い直すことができるかもしれない。

そして、いわゆる「伝統演劇」のテクストを、それが前提としていた身体性とともに、今の私たちの身体を通じて上演しなおす試みは、ヨーロッパの特殊な状況で培われた「演劇」の枠組みから排除されてしまったものにも目を向けられるような、私たちの「現代演劇」のあり方を考えるための重要な手がかりになるかもしれない。

(木ノ下歌舞伎/岡田利規『桜姫東文章』を拝見して。)

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いろいろな「みんな」 2023年1月7日

また一つ歳をとって最初に見た夢は、字幕操作担当なのに本番に遅刻する夢でした。歳をとっても、本番に弱いのはなかなか変わりません。。。

昨年はふじのくに⇄せかい演劇祭も東京芸術祭も大学の授業もなんとかライブでできてよかったですが、思えばいろいろな集まり方を体感することができた三年間でした。

一昨日、スウェーデン人の義弟に会い、スウェーデンでロックダウンがなかったのは、もう二世紀ほど戦争がなかったために、そもそも非常事態のための法律というものがなく、議会を通してしか何も決められなかったからだ、という話を聞きました。同時に、議会にも専門家の意見にきちんと耳を傾けた上で議論をするという文化があり、医療の専門家たちは社会的・精神面も含めロックダウンの悪影響の方が大きいという意見を出し、国民的な議論を尽くした上で結論を出したとのこと。最終的にどの対処法がよかったのか、歴史的な評価をするにはまだまだ時間がかかるでしょうが、多くの方が議論に参加し、納得した上で結論を出すという文化をつくっていかなきゃと思いました。

授業やいくつかのシンポジウムをオンラインでやってみて、オンラインだからこそ発言できる方、発言しやすい方もいるんだな、というのも体感できました。ライブで会議をすると、円卓でも「えらい人」の近くにいる人ほど発言する傾向があったりしますが、Zoomでミーティングをするとより水平な関係性がつくりやすくはありますし、そもそも遠方にいたり、家庭の事情があったり、障害があったりでなかなか現地に集まれない方も参加できます。オンラインの方が体格差が気にならないし、声が小さくても発言しやすいという方、チャットなら発言しやすいという方もいました。自分も家庭の事情でなかなか移動できなかったので、助かりました。

とはいえ、ふじのくに⇄せかい演劇祭をライブでやってみると、オンラインイベントにはほとんど参加していない、という方にもけっこう出会いました。技術的に参加が難しい方もいれば、スマートフォンやパソコンを持っていない、使いたくないという方も。昨年はライブでしか出会えない方との再会も多かったように思います。

大学の授業では「ヒトはなぜ歌い、踊り、語り、演じるのか? 生物学から舞台芸術を考える」というテーマを扱ったところ、音楽やダンスに興味がある方にたくさん出会えたのは楽しかったです。一方で、ここ数年演技論を扱っていたときは演劇に興味がある方が多かったのですが、今回は演劇に関心があるという方は少数派で、音楽やダンスの世界と演劇の世界の間のちょっとした分断も感じました。演劇をやっている方のなかにも、歌や踊りに苦手意識があったり、その一体感をつくる力に警戒心をもっている方がいらしたりします。でも授業で体の動きや声を使ったワークショップをしていただくと、言葉による対話だけではなかなか伝わらないものが共有できることも体感できました。私は歌って踊るのも演じるのもどちらも苦手ですが、自分がこの世界に身体をもって生きているということと少しずつ和解できてきたような気もしています。

いろんな出会い方をしているそれぞれの現場で、「みんな」のイメージが少しずつ違うのに、そこにいる人だけで「みんな」だと思えてしまうことも体感できました。どうしたらそんな複数の「世界」をつなぐことができるのか、今年もゆっくり考えていければと思っています。

今年もいろんな方が気にしてくださったようで、本当にありがとうございます。昨年も多くの方々に大変お世話になりました。今年も何卒よろしくお願いいたします。

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『仮構の歴史』 2022年12月18日

マーク・テ/ファイブアーツセンター『仮構の歴史』、『バリン』につづき、マレーシアという国家の成り立ちをめぐる刺激的な作品。中等教育で使われる歴史の教科書がテーマ。マラヤ連合時代(1946-1948)においては、最近まで政権与党だったマレー系右派ナショナリズム政党UMNO(統一マレー国民組織)主導のデモよりも、「ハルタル」と呼ばれた左派ナショナリズム政党主導のゼネラルストライキ(1947)のほうがよほど多くの人が参加していたのに、教科書では全く取り上げられていなかった。このハルタルの時代を振り返ってみると、長年マレー半島で暮らしてきたマレー系、中華系、インド系の住民が同等の市民権をもって共存できる国家が成立していた可能性が見えてくる。「ハルタル」はガンジーが提唱した非暴力抵抗運動から来た名前で、植民者であった英国人が再び政治や経済を通じて影響力を行使することへの宗教を超えたナショナルな抵抗が含意されている。マラヤ共産党やマラヤ華人の歴史がご専門の原不二夫先生は公演後のトークで、もしこのストライキに共産党が参加していたら、マレーシアの歴史は変わっていたかもしれない、とおっしゃっていた。この作品では、「共産主義者=中国人/無神論者」といった(右派プロパガンダにもとづく)クリシェにはそぐわない、マレー系やムスリムに改宗した華人の元マラヤ共産党指導者たちに焦点が当てられていた。「国家と民族の関係には別の形もありえた」というオルタナティブな歴史を語ることは、国家が仮構してきた歴史を根底から突き崩すことにもなりかねない。原先生は日本の教科書問題にも言及なさっていて、マレーシアでこの作品を上演する困難さがより身に沁みて実感できた。「日本人の歴史」では何が仮構されてきたのか、考えさせられる作品。

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カテゴリー: アジアの舞台芸術

シンポジウム「なぜ他者と空間を共有するのか? ~メディア、医療、パフォーマンスの現場から~」

東京芸術祭シンポジウム「なぜ他者と空間を共有するのか? ~メディア、医療、パフォーマンスの現場から~」(ゲスト:坂本史衣さん、ドミニク・チェンさん、MIKIKOさん)、【シリーズ・持続可能な舞台芸術の環境をつくる】として、昨年は「ライブでしか伝わらないものとは何か?」というテーマで、ライブの意義について考えたのですが、そこでライブ性には空間の共有と時間の共有があるということが分かり、劇場での公演も増えてきたので、今回は空間の共有に焦点を当てることにしました。
まず、今このテーマについて話すなら、コロナ禍の現状もきちんと踏まえておかなければと思い、感染症対策の最前線でご尽力なさっている坂本史衣さんにお声がけしました。ではそもそも空間の共有ってなんだろう、と思い、「お互いに影響を与えうる場に身を置くこと」と定義してみると、フィジカルな空間の共有だけでなく、今はバーチャルな空間の共有もけっこう重要じゃないかという気がしてきました。そんなこともあって、インターネットをはじめとするメディアの現状と歴史をよくご存知のドミニク・チェンさん、Perfumeのライブやリオ五輪閉幕式など最新のデジタル技術を駆使した演出で知られるMIKIKOさんにお声がけしました。実際にお話ししてみると、一人で考えていたときとはだいぶ違う風景が見えてきました。
ここであんまり詳しく話してしまってももったいないので、少しだけ。フィジカルな空間を共有するというのは、つまり一時生死を共にするということなんだな、と思いました。なんだか無味乾燥な題名にしてしまったような気もしていたのですが、エモーショナルな瞬間が多かったのが印象的でした。
そして舞台芸術の面白さは、バーチャルな空間を、このフィジカルな空間に重ねることなのではないかと思えてきました。昨年の時点では、ライブ性に焦点を当てた結果、舞台芸術のバーチャル性についてはあまり考えられませんでしたが、言葉も、振付も、あるいは人が「死ぬ」ということを考えることですら、人と人の間で作られてきたバーチャルな空間を抜きにしては考えられないということに気づかされました。
かつてはそんなバーチャルな空間の共有にもフィジカルな空間の共有が欠かせない場面が多かったのですが、今ではフィジカルな空間を共有することは選択肢の一つとなりました。だからこそ、その意味をきちんと考えたうえで、それを選択することが重要になってきます。
実際に人が生き、死んでいくフィジカルな空間の重要性は、もちろんこれからもそう簡単に変わっていくことはないでしょう。そのフィジカルな空間にどう意味を重ね合わせていくのかも、私たち人類の課題でありつづけていくはずです。そこに舞台芸術がどのように関わっていけるのか。お三方のおかげで、深く考えさせられる時間となりました。ご覧くださった方はぜひご感想やご意見をお寄せください。

【シリーズ・持続可能な舞台芸術の環境をつくる】

東京芸術祭 2022 シンポジウム

「なぜ他者と空間を共有するのか? ~メディア、医療、パフォーマンスの現場から~」

紹介サイト:https://tokyo-festival.jp/2022/program/symposium_d

場所:オンライン配信

言語:日本語(近日中に英語字幕も)

登壇者:

坂本史衣(聖路加国際病院QIセンター感染管理室 マネジャー)

ドミニク・チェン(情報学研究者)

MIKIKO(演出振付家/ ダンスカンパニー「ELEVENPLAY」主宰)

モデレーター:

横山義志(東京芸術祭リサーチディレクター)

多田淳之介(東京芸術祭ファームディレクター)

人に会うって、リスクなの?

コロナ禍を通じて、いよいよ多くのことがオンラインで出来るようになりました。それでもなお空間を共有したいとすれば、あるいはせざるをえないとすれば、それはなぜなのか。メディア、医療、パフォーマンスの専門家とともに、空間を共有することの意義を問いなおしてみたいと思います。

プログラムディレクターコメント

東京芸術祭では、「シリーズ 持続可能な舞台芸術の創造環境をつくる」として、舞台芸術が今日直面している課題について論じる場を設けています。今年のシンポジウムでは、コロナ禍によって困難になった「空間を共有すること」、「国境を越えて移動すること」に焦点を当て、さまざまな現場で活躍する専門家から、今まさにお考えになっていること、試みていることをうかがっていきます。ポストコロナ時代に向けて、みなさんと一緒に、これからの上演や国際交流のあり方を考えていきたいと思います。

シンポジウム「なぜ他者と空間を共有するのか? ~メディア、医療、パフォーマンスの現場から~」 へのコメントはまだありません

「演技論」という言葉 2022年12月3日

日本語で「西洋演技論史」というのを書こうとしているということの奇妙さに、ふと気づかさ日本語で「西洋演技論史」というのを書こうとしているということの奇妙さに、ふと気づかされた。思えば「演技論」などという研究ジャンルはフランス語でも英語でも存在しない。フランス語の博士論文は「俳優術(art du comédien)」について書いたし、英語では「演技理論(theory of acting)」について研究している、と説明することが多い。だが、たとえば最近は教会法やローマ法における俳優の位置づけについて調べているが、これはどちらにもあてはまらない。自分がやっている「演技論史」というのは「演技について語られてきたこと」についての歴史であり、それをフランス語や英語にしようとすると、「演技についての言説の歴史(histoire des discours sur l’art du comdien, history of discourse on acting)」とか、なんだかややこしい言い方になってしまう。なんでこんなことになってしまったのか。
もとをたどれば、リアリズム的演技の起源を知りたかったのだが、俳優が書いた実践的な「演技理論」などというものはせいぜい一八世紀くらいまでしか遡れない。でも、そこで「よい演技」とされているものは、特定の社会的・歴史的背景から要請されたものであって、そこで使われている語彙は弁論術、哲学、神学、法学、文学等々のなかで使われてきたものの借り物だったりする。「演劇独自の価値」などというものは存在しないのであって、そういうネットワークの全体を見なければ、なぜそのような演技がよいということになったのかは理解できないし、一八世紀より先に遡ることすら難しくなってしまう。
というわけで、日本語の「演技論」という言葉がなんだかしっくりきた。日本語で書くと、西洋語の言説をある種突き放して相対化できるというメリットもある。西洋語で書いていると、自分が書いている言葉自体を分析・批判しながら書くというややこしい作業をしなければならない(まあ日本語でも結局翻訳語を多用することになるので、ある程度そうならざるをえないが)。ふたたび西洋語で語らなければいけない機会に、「日本語からの視点で西洋語で西洋演技論を語る」というアクロバティックなことができるか、考えてみたりしている。

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シンポジウム「芸能者はこれからも旅をするのか? ~コロナ後の国際舞台芸術祭における環境と南北問題~」 2022年10月28日

東京芸術祭 2022 シンポジウム「芸能者はこれからも旅をするのか? ~コロナ後の国際舞台芸術祭における環境と南北問題~」、オンライン配信を開始しました。

国際舞台芸術祭で働いていて、ここ三年ほどは自分の仕事を問いなおす日々でした。国境を越える移動が少しずつ再開してきましたが、世界中の人が飛行機に乗れるようになってきたことは、コロナ禍がパンデミックとなった原因でもあり、環境破壊や気候変動を促進する一要素でもあります。一方で、移動が制限されたり、移動のリスクが高まってしまうと、舞台芸術の世界では、すでに著名なアーティストに仕事が集まり、南北格差が固定化されることにもつながりかねません。この問題について話すために、ヨーロッパ、アメリカ大陸、アジアからそれぞれ一人ずつお招きして、オンラインでシンポジウムを行いました。

アウサ・リカルスドッティルさんは、ブリュッセル(ベルギー)に拠点を置く世界最大の舞台芸術ネットワークIETMの事務局長です。2020年、コロナ禍を受けて、IETM他ヨーロッパを拠点とする四つの舞台芸術ネットワークが共同で、「よりインクルーシブで持続可能でバランスの取れた」国際ツアーのあり方を欧州圏41カ国で実証的に検証する試み「パフォーム・ヨーロッパPerform Europe」が立ち上げられました。ここで明らかになったことの一つが、ヨーロッパの内部でもアーティストのモビリティには大きな格差があるということでした。つまり、国際舞台芸術祭を通じて見える「世界」は、地域やジェンダー、障害の有無などにより、視野がかなり限定されてしまっていたわけです。この格差はコロナ禍により、さらに拡大する傾向にありました。そこで、より環境に優しいツアーの仕方を検討するだけでなく、この格差をいかに減らすかも大きな課題となりました。

モントリオール(カナダ)のフェスティバル・トランスアメリーク共同芸術監督となったマーティン・デネワルさんは、北米先住民アーティストの視点から環境問題を捉えなおす試みをご紹介いただきました。マーティンさんはヨーロッパ出身で、先住民に「我々の土地にようこそ」と迎え入れられたといいます。他者や環境から収奪する関係から、ホストとゲストとが相互に敬意を払う関係へと関わり合いをむすびなおすことで、南北問題と環境問題に同時にアプローチする可能性が見えてきました。

そしてコロナ禍の渦中にシンガポール国際芸術祭ディレクターとなったナタリー・ヘネディゲさんからは、今日の東南アジアの現実に根づいたプログラムをどう組んでいったのか、お話をうかがうことができました。航空機による移動が止まったなか、ナタリーさんはまず「ウェブサイト上で旅をした」と言います。コロナ禍で極めて厳しい状況に置かれた東南アジアのアーティストたちは、積極的にオンラインで情報を発信していました。それ以前は、一人あたりGDPが高いシンガポールとそれ以外の国々ではモビリティにかなりの格差がありましたが、そこでは逆に、より水平的な出会いが可能になったといいます。

お三方のお話から、一人ではとても思いつかなかった糸口が見えてきました。経済がグローバル化するなかで、地理的な南北だけでなく、「資本主義経済のグローバル化により負の影響を受ける地域や人々」を指す「グローバルサウス」という概念が提唱されてきましたが、グローバルサウスは北にも南にも、またいわゆる先進国にもあります。そしてグローバルサウス間の連帯を模索する動きも拡がっています。一カ所に人が集まらないと成立しないという極めて「非効率的」な舞台芸術も、グローバル資本主義とはなかなか相容れません。これからの舞台芸術の国際交流は、グローバルサウスから新たな経済圏をつくる動きとの連帯を模索する必要があるのかもしれません。

12月11日まで配信の予定です。私1人では消化しきれない話ばかりですので、ぜひご感想をお寄せください。
https://tokyo-festival.jp/2022/program/symposium_i

シンポジウム「芸能者はこれからも旅をするのか? ~コロナ後の国際舞台芸術祭における環境と南北問題~」 へのコメントはまだありません

「人材」とは 2022年6月14日

今参加者募集中の「東京芸術祭ファーム」は「人材育成と教育普及のための枠組み」ということになっていますが、この「人材」という言葉を使うべきかについては、昨年立ち上げの際に、だいぶ議論がありました。私も少し調べてみて、最終的に、使ってもよいのではと思いました。誤解を避けるためにも、この機会に、経緯を少しお話ししておきます。

まずは否定的な意見から。今「人材」という概念が普及したのは、新自由主義的経済学の人的資本(human capital)論によるもので、人間そのものが市場において「資本」や「商品」として機能するような考え方にもとづいている、という話があります。この意味での人材概念は、2011年に内閣府に設置された「グローバル人材育成会議」から、教育行政でも広く使われるようになったのだそうです。経済産業省の「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書」(二〇二〇年九月)には、「人材の『材』は『財』であるという認識」によって「人的資本」を論じたと明言されています。(佐藤学『第四次産業革命と教育の未来 ポストコロナ時代のICT教育』)また、「人材」は英語のhuman resouces「人的資源」の訳語でもあって、この語は第一次大戦の頃から「国家に奉仕する人間のストック」といったニュアンスで使われ、日本でも大政翼賛運動の中で使われてきた経緯があります。この意味では、たしかにあまり使いたくない言葉です。

一方で、漢語の「人材」はかなり古い言葉で、『詩経』(紀元前12-6世紀の祭礼歌や民謡の集成)が出典です。「小雅・菁菁者莪 序」にはこうあります。

「菁菁者莪、樂育材也。君子能長育人材、則天下喜樂之矣。」
「菁菁たる莪は、材を育するを楽しむなり
君子よく人材を長育すれば、則ち天下之を喜楽す」

「キツネアザミ(莪)が茂るのを楽しむように、君子が人材を育成すれば社会全体がそれを享受することになる」という意味だそうです。ここで紹介されている歌は、川辺や丘にキツネアザミが茂っている様子(菁莪)を眺め、それを憑代とする水神が人里に近づいてくる歓びを歌うものです。キツネアザミは明らかに栽培植物ではなく、勝手に茂っているわけで、しかもすごく役に立つというよりも(薬草として使うこともあるようですが)、むしろあまり茂っていると困るくらいのものです。それが「材」だというのは、水神の憑代だからであって、人間の世界とは違った理屈で、勝手に生い茂っていくのを、元気にやっているなあ、となんとなく見守っていられる人こそが度量の広い「君子」なのだ、ということなのでしょう。(「君子」というのは、歌のなかでは水神のことのようですが、序のほうでは人間への教訓を述べているのかもしれません。)

まあ「東京芸術祭ファーム」の運営側に「君子」というほどの人がいるわけでもありませんが、できるのはせいぜい「何かやってみたい人」のために、なるべく安全にやってみることができる場をつくるくらいのことではないか、と思うと、この『詩経』に採録された歌がしっくりくるように思いました。そんな「人材」が、いつかみんなを楽しませてくれることを祈りつつ、ご応募をお待ちしております。

菁菁者莪 在彼中阿 既見君子 樂且有儀
菁菁者莪 在彼中沚 既見君子 我心則喜
菁菁者莪 在彼中陵 既見君子 錫我百朋
汎汎楊舟 載沈載浮 既見君子 我心則休

茂れるきつねあざみは、川の隈(くま)に。
水神の御出ましに、我が心も楽しみ静まらん。
茂れるきつねあざみは、川の水際に。
水神の御出ましに、我が心も喜ばん。
茂れるきつねあざみは、高き丘の上に。
水神の御出ましに、我らの多福を祈らん。
やなぎの舟はゆらゆらと、浮き沈みしつつ来る。
水神の御出ましに、我が心も喜ばん。
( 『新釈漢文大系第111巻 詩経(中)』石川忠久著、明治書院)

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東京芸術祭ファーム2022 ラボ
参加者募集中のプログラム
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※応募資格等の詳細は、下記より募集要項をご確認ください
https://tokyo-festival.jp/tf_farm

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演劇というジャンル/ディシプリン 2022年6月6日

週末に多摩美術大学で行われた日本演劇学会2022年度全国大会「演劇と美術」は自分にとってアクチュアルな問題を問う発表やシンポジウムが多く、刺激的だった。「演劇と美術」と並べると、「劇場」と「美術館」という制度を問いなおすことにならざるを得ない。そして、その問いは「演劇(学)」というジャンル/ディシプリンそのものを問いなおすものともならざるを得ない。「演劇と美術 —入り交じる時間と空間—」と題された最後のシンポジウムで、登壇者に「現場の視点から、演劇学あるいは演劇教育というディシプリンに期待するものは?」と質問したところ、「アーカイブを整備してほしい」という返答があり、とても腑に落ちた。ゼロから新しいものを作ることはできない。アーカイブがなければ実験もできない。そしてジャンルやディシプリンといった枠がなければ、アーカイブも成り立たない。仮に枠組みのないアーカイブがあっても、ほしいものにたどりつくことはできない。「越境」が大事だからといって、全ての壁を壊したほうがいいというわけではない。壁の中でしかできない実験はあるし、だからそもそも壁をつくってきたのだろう。
自分が演劇学を選んだのは、ご多分に漏れず、演劇に救われたからだった。今にして思えばそれも「劇場」という壁があり、「演劇」という枠があったからこそ可能な出会いに救われたのだと思う。だがアジアからの留学生としてフランスで演劇学を学んでみると、いかにその枠がヨーロッパ中心にできているかを実感させられることになった。それから劇場で働くことになり、「演劇祭」のプログラムを考えていると、「演劇」という枠組みで本当にちゃんと「世界」が見えるのか、という疑問が湧いてきた。それでパフォーマンス研究を学びにニューヨークに行った。リチャード・シェクナーは1992年の全米高等教育演劇学会で、演劇学科をみんな解体してパフォーマンス研究科に改組することを提唱したが、今のところそうなってはいない。広すぎる枠はアーカイブとして使いづらいからなのかもしれない。
今、西洋演技論史を書こうとしているのは、西洋でできた「演劇」という枠組みにかなりの不満と不信感があるからだ。その土台まで、一歩ずつ掘り進めていって、自分の違和感の正体を見極めたい。その向こう側に何があるのかは、まだよくわからない。植民地時代に作られたインフラであろうと、ただ破壊してしまっては自分の生活が不便になるだけ、ということも往々にしてある。自分が受けた恩恵を、今よりもいい形で次代につなげるための仕事ができればと思う。
どんなインフラも、日々の集団的実践のなかで保持され、更新されていく。日々の研究や教育のかたわらで研究会を開き、学会誌を発行し、といった作業をしてくださる方々がいるおかげで、出会いが生まれ、アーカイブが更新され、枠からの越境も生じる。学会の受付を通るたびに、以前SPAC-静岡県舞台芸術センターで演劇学会の研究集会を開催させていただいたときのことを思い出す。コロナ禍もあり、今回もみなさん大変だったと思いますが、本当におつかれさまでした!

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