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「演技論」という言葉 2022年12月3日

日本語で「西洋演技論史」というのを書こうとしているということの奇妙さに、ふと気づかさ日本語で「西洋演技論史」というのを書こうとしているということの奇妙さに、ふと気づかされた。思えば「演技論」などという研究ジャンルはフランス語でも英語でも存在しない。フランス語の博士論文は「俳優術(art du comédien)」について書いたし、英語では「演技理論(theory of acting)」について研究している、と説明することが多い。だが、たとえば最近は教会法やローマ法における俳優の位置づけについて調べているが、これはどちらにもあてはまらない。自分がやっている「演技論史」というのは「演技について語られてきたこと」についての歴史であり、それをフランス語や英語にしようとすると、「演技についての言説の歴史(histoire des discours sur l’art du comdien, history of discourse on acting)」とか、なんだかややこしい言い方になってしまう。なんでこんなことになってしまったのか。
もとをたどれば、リアリズム的演技の起源を知りたかったのだが、俳優が書いた実践的な「演技理論」などというものはせいぜい一八世紀くらいまでしか遡れない。でも、そこで「よい演技」とされているものは、特定の社会的・歴史的背景から要請されたものであって、そこで使われている語彙は弁論術、哲学、神学、法学、文学等々のなかで使われてきたものの借り物だったりする。「演劇独自の価値」などというものは存在しないのであって、そういうネットワークの全体を見なければ、なぜそのような演技がよいということになったのかは理解できないし、一八世紀より先に遡ることすら難しくなってしまう。
というわけで、日本語の「演技論」という言葉がなんだかしっくりきた。日本語で書くと、西洋語の言説をある種突き放して相対化できるというメリットもある。西洋語で書いていると、自分が書いている言葉自体を分析・批判しながら書くというややこしい作業をしなければならない(まあ日本語でも結局翻訳語を多用することになるので、ある程度そうならざるをえないが)。ふたたび西洋語で語らなければいけない機会に、「日本語からの視点で西洋語で西洋演技論を語る」というアクロバティックなことができるか、考えてみたりしている。

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贈与としての舞台芸術は可能か 2020年7月11日

コロナ禍をきっかけに、舞台芸術に関するクラウドファンディングがいくつか立ち上がりました。でもその少し前から、市場経済の仕組みでは成り立ちにくい舞台芸術に贈与経済の考え方を導入すべきではないか、という機運はありました。それについて、古代ローマの例が役に立つような気がしたので、ローマ演劇における贈与と俳優の関係について、少し書き留めておきます。

古代ローマ社会においては、贈与経済が圧倒的な重要性を持っていました。劇場や演劇公演を含め、大規模な工事やイベントの多くは、権力者や資産家による贈与によって成り立っていました(ポール・ヴェーヌ『パンと競技場』)。

贈与によって恩を受けると感謝の念が生まれ、恩返しをしなければならないという気持ちが生じます。恩返しをすると、そこに再び感謝が生まれ、両者のあいだに信頼関係が生じていきます。このような「恩恵」、「感謝」、「信頼」を、ラテン語では全てグラティア(gratia)という言葉で表現します。ローマの支配階級は、このグラティアのサークルによって結びついていました(Claude Moussy, Gratia et sa famille)。

これは神々と人間との関係でもありました。ローマ人は神々に日ごろの「恩恵」への「感謝」のしるしとして犠牲を捧げ、時にはギリシア由来のエキゾティックな娯楽である演劇を捧げたりもします。こんな儀式へのお返しとして、神々はふたたび人間に恩恵を授け、神々と人間との絆が深まっていくわけです。

ローマ市民は演劇に熱狂し、政治家が人気取りのために競って演劇を上演するようになっていきました。人気俳優は巨万の富を築きました。ところが、俳優たちはこのグラティアのサークルのなかに入ることはできませんでした。俳優は報酬を受け取って演じていたからです。

ローマ社会では、お金のために仕事をすることは卑しいことだと考えられていました。そして俳優は、他人の快楽のために自分の身体を提供する仕事として、売春と同様に不名誉で奴隷的な職業とみなされていました。

同じような行為をしても、金銭による取引となると、支払いで関係が終わってしまい、「恩恵」も「感謝」も「信頼」も発生せず、グラティアのサークルには入ることができません。政治家が劇団の座長に演劇を上演してもらい、それによって庇護民の支持を得ることができたとしても、報酬をもらった座長は政治家に恩を売ることはできません。神々にこの娯楽を「感謝」のしるしとして捧げた主体も、あくまでお金を出した主催者であって、実際に演じた俳優ではありません(これについては『西洋演劇論アンソロジー』の「クインティリアヌス」の項目で少し書いています)。

ではどうすれば俳優はグラティアのサークルに入れるのか。近代ヨーロッパの演技論は、この難題が一つの出発点になっています。ここから、近代演技論では、ラテン語のグラティアから派生した「優美(grace, grâce, Grazie, etc…)」という概念が重要になっていくのですが、ここから先はややこしい話なので、またいずれ。歌と踊りを排除した今のリアリズム的な演技は、この「優美」の追求がきっかけとなって生まれた、というのが私の考えです。

これは近代において、俳優が再び市民となっていく過程でもありました。フランス革命のなかで、俳優はときに共和政ローマの英雄を演じることで、市民のモデルを提示する役割を果たしました。革命後の社会では市場経済が拡大し、グラティアのサークルは徐々に姿を消していきます。そしてようやく市民権を得た俳優は、興行としての演劇を牽引していきます。

二〇世紀以降、映画やテレビやインターネットの出現で、舞台芸術を興行として成立させることは徐々に困難になっていきました。では今、どうすれば舞台芸術にふたたび贈与経済の考え方を導入することができるのか。そしてどうすれば贈与のサークルの中で舞台芸術の担い手自身が主体的な位置を占めることができるのか。これは今、私たちが直面している難題です。たぶんそれには、今の舞台芸術の枠組みやあり方自体を問い直すようなことが必要になるでしょう。もしかすると何世紀もかかかるようなことなのかも知れません。あるいは、意外とあっという間にそうなっていくのかもしれません。

いずれにしても確かなのは、これまでやってきたことを、けっこう根本的に問いなおす必要に迫られているということだと思います。

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