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「日本の現代演劇」とは何か 2023年2月10日

「日本の現代演劇」とは何か、何であり得るのか、私たちはまだ十分に知らないのかもしれない。日本語で上演のために書かれた多くのテクストは、「伝統芸能」や「伝統演劇」の枠内でしか使われていない。その原因の一つは、テクストと身ぶりや音楽とが不即不離の関係にあるためである。もちろんヨーロッパの戯曲も多くはそうだったはずだが、近代ヨーロッパでは、テクスト中心主義を媒介にして、テクストを当初想定されていた身体性から切り離して上演する慣習が確立した。

もう一つの原因は、日本語で上演のために書かれたテクストの多くが「公論」の形成を目的としていなかったことだろう。一八世紀以降の西欧においては公的資金が用いられる劇場が公論形成の場ともなり、それを目的として書かれる戯曲も出現してきた。さらに、過去のレパートリーもそれを基準として読み直されるようになっていく。

日本では歌舞伎を「旧劇」として否定する「新劇」から近代演劇の歴史が始まったことになっている。「伝統芸能」、「伝統演劇」あるいは「旧劇」をすでに発展段階を終えた歴史の遺物とみなし、西洋の演劇史と接続することで、日本の「近代演劇/現代演劇」の歴史は紡がれてきた。

20世紀以来、ヨーロッパの演劇もテクスト中心主義を問い直し、身体性や音楽性の価値を再発見するための試みを重ねている。だが、「演劇」と呼ばれる枠組み自体がテクスト中心主義と分かちがたいため、そこから逃れるのは容易ではない。「演出家の時代」を経ても、「演出」をテクストと見なす新たなテクスト中心主義以外の道はなかなか見えてこない。

公論の形成だけが舞台芸術の価値だとすれば、言葉を使わないパフォーマンスの多くを排除してしまうことになりかねない。ヨーロッパの公共劇場における舞台芸術は、舞踊や音楽を含むさまざまなパフォーマンスを、アーティストの言葉や企画書によってなんとかテクストに回収させることで公共性を確認してきた。だが、そこで使われている言葉は、本当に身体性の価値を評価できるものになっているのだろうか。身ぶりを身ぶりによって、音楽を音楽によって批判することが可能であり、身ぶりや音楽にアイロニーがありうるのだとすれば、その意味は私たちが今使っている言葉で十分に回収可能なのだろうか。

私が演技論史に取り組んでいるのは、「演劇」の歴史ではなく「演技」の歴史を辿ってみれば、違う道筋が見えてくるのではないかと思ったからだ。テクスト中心主義へと向かう演技論史を、そのローカルな文脈のもとに置き直してみるだけでも、それがどれだけ特殊な状況で成立したものなのかが見えて、その普遍性を問い直すことができるかもしれない。

そして、いわゆる「伝統演劇」のテクストを、それが前提としていた身体性とともに、今の私たちの身体を通じて上演しなおす試みは、ヨーロッパの特殊な状況で培われた「演劇」の枠組みから排除されてしまったものにも目を向けられるような、私たちの「現代演劇」のあり方を考えるための重要な手がかりになるかもしれない。

(木ノ下歌舞伎/岡田利規『桜姫東文章』を拝見して。)

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『仮構の歴史』 2022年12月18日

マーク・テ/ファイブアーツセンター『仮構の歴史』、『バリン』につづき、マレーシアという国家の成り立ちをめぐる刺激的な作品。中等教育で使われる歴史の教科書がテーマ。マラヤ連合時代(1946-1948)においては、最近まで政権与党だったマレー系右派ナショナリズム政党UMNO(統一マレー国民組織)主導のデモよりも、「ハルタル」と呼ばれた左派ナショナリズム政党主導のゼネラルストライキ(1947)のほうがよほど多くの人が参加していたのに、教科書では全く取り上げられていなかった。このハルタルの時代を振り返ってみると、長年マレー半島で暮らしてきたマレー系、中華系、インド系の住民が同等の市民権をもって共存できる国家が成立していた可能性が見えてくる。「ハルタル」はガンジーが提唱した非暴力抵抗運動から来た名前で、植民者であった英国人が再び政治や経済を通じて影響力を行使することへの宗教を超えたナショナルな抵抗が含意されている。マラヤ共産党やマラヤ華人の歴史がご専門の原不二夫先生は公演後のトークで、もしこのストライキに共産党が参加していたら、マレーシアの歴史は変わっていたかもしれない、とおっしゃっていた。この作品では、「共産主義者=中国人/無神論者」といった(右派プロパガンダにもとづく)クリシェにはそぐわない、マレー系やムスリムに改宗した華人の元マラヤ共産党指導者たちに焦点が当てられていた。「国家と民族の関係には別の形もありえた」というオルタナティブな歴史を語ることは、国家が仮構してきた歴史を根底から突き崩すことにもなりかねない。原先生は日本の教科書問題にも言及なさっていて、マレーシアでこの作品を上演する困難さがより身に沁みて実感できた。「日本人の歴史」では何が仮構されてきたのか、考えさせられる作品。

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カテゴリー: アジアの舞台芸術

シンポジウム「芸能者はこれからも旅をするのか? ~コロナ後の国際舞台芸術祭における環境と南北問題~」 2022年10月28日

東京芸術祭 2022 シンポジウム「芸能者はこれからも旅をするのか? ~コロナ後の国際舞台芸術祭における環境と南北問題~」、オンライン配信を開始しました。

国際舞台芸術祭で働いていて、ここ三年ほどは自分の仕事を問いなおす日々でした。国境を越える移動が少しずつ再開してきましたが、世界中の人が飛行機に乗れるようになってきたことは、コロナ禍がパンデミックとなった原因でもあり、環境破壊や気候変動を促進する一要素でもあります。一方で、移動が制限されたり、移動のリスクが高まってしまうと、舞台芸術の世界では、すでに著名なアーティストに仕事が集まり、南北格差が固定化されることにもつながりかねません。この問題について話すために、ヨーロッパ、アメリカ大陸、アジアからそれぞれ一人ずつお招きして、オンラインでシンポジウムを行いました。

アウサ・リカルスドッティルさんは、ブリュッセル(ベルギー)に拠点を置く世界最大の舞台芸術ネットワークIETMの事務局長です。2020年、コロナ禍を受けて、IETM他ヨーロッパを拠点とする四つの舞台芸術ネットワークが共同で、「よりインクルーシブで持続可能でバランスの取れた」国際ツアーのあり方を欧州圏41カ国で実証的に検証する試み「パフォーム・ヨーロッパPerform Europe」が立ち上げられました。ここで明らかになったことの一つが、ヨーロッパの内部でもアーティストのモビリティには大きな格差があるということでした。つまり、国際舞台芸術祭を通じて見える「世界」は、地域やジェンダー、障害の有無などにより、視野がかなり限定されてしまっていたわけです。この格差はコロナ禍により、さらに拡大する傾向にありました。そこで、より環境に優しいツアーの仕方を検討するだけでなく、この格差をいかに減らすかも大きな課題となりました。

モントリオール(カナダ)のフェスティバル・トランスアメリーク共同芸術監督となったマーティン・デネワルさんは、北米先住民アーティストの視点から環境問題を捉えなおす試みをご紹介いただきました。マーティンさんはヨーロッパ出身で、先住民に「我々の土地にようこそ」と迎え入れられたといいます。他者や環境から収奪する関係から、ホストとゲストとが相互に敬意を払う関係へと関わり合いをむすびなおすことで、南北問題と環境問題に同時にアプローチする可能性が見えてきました。

そしてコロナ禍の渦中にシンガポール国際芸術祭ディレクターとなったナタリー・ヘネディゲさんからは、今日の東南アジアの現実に根づいたプログラムをどう組んでいったのか、お話をうかがうことができました。航空機による移動が止まったなか、ナタリーさんはまず「ウェブサイト上で旅をした」と言います。コロナ禍で極めて厳しい状況に置かれた東南アジアのアーティストたちは、積極的にオンラインで情報を発信していました。それ以前は、一人あたりGDPが高いシンガポールとそれ以外の国々ではモビリティにかなりの格差がありましたが、そこでは逆に、より水平的な出会いが可能になったといいます。

お三方のお話から、一人ではとても思いつかなかった糸口が見えてきました。経済がグローバル化するなかで、地理的な南北だけでなく、「資本主義経済のグローバル化により負の影響を受ける地域や人々」を指す「グローバルサウス」という概念が提唱されてきましたが、グローバルサウスは北にも南にも、またいわゆる先進国にもあります。そしてグローバルサウス間の連帯を模索する動きも拡がっています。一カ所に人が集まらないと成立しないという極めて「非効率的」な舞台芸術も、グローバル資本主義とはなかなか相容れません。これからの舞台芸術の国際交流は、グローバルサウスから新たな経済圏をつくる動きとの連帯を模索する必要があるのかもしれません。

12月11日まで配信の予定です。私1人では消化しきれない話ばかりですので、ぜひご感想をお寄せください。
https://tokyo-festival.jp/2022/program/symposium_i

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「人材」とは 2022年6月14日

今参加者募集中の「東京芸術祭ファーム」は「人材育成と教育普及のための枠組み」ということになっていますが、この「人材」という言葉を使うべきかについては、昨年立ち上げの際に、だいぶ議論がありました。私も少し調べてみて、最終的に、使ってもよいのではと思いました。誤解を避けるためにも、この機会に、経緯を少しお話ししておきます。

まずは否定的な意見から。今「人材」という概念が普及したのは、新自由主義的経済学の人的資本(human capital)論によるもので、人間そのものが市場において「資本」や「商品」として機能するような考え方にもとづいている、という話があります。この意味での人材概念は、2011年に内閣府に設置された「グローバル人材育成会議」から、教育行政でも広く使われるようになったのだそうです。経済産業省の「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書」(二〇二〇年九月)には、「人材の『材』は『財』であるという認識」によって「人的資本」を論じたと明言されています。(佐藤学『第四次産業革命と教育の未来 ポストコロナ時代のICT教育』)また、「人材」は英語のhuman resouces「人的資源」の訳語でもあって、この語は第一次大戦の頃から「国家に奉仕する人間のストック」といったニュアンスで使われ、日本でも大政翼賛運動の中で使われてきた経緯があります。この意味では、たしかにあまり使いたくない言葉です。

一方で、漢語の「人材」はかなり古い言葉で、『詩経』(紀元前12-6世紀の祭礼歌や民謡の集成)が出典です。「小雅・菁菁者莪 序」にはこうあります。

「菁菁者莪、樂育材也。君子能長育人材、則天下喜樂之矣。」
「菁菁たる莪は、材を育するを楽しむなり
君子よく人材を長育すれば、則ち天下之を喜楽す」

「キツネアザミ(莪)が茂るのを楽しむように、君子が人材を育成すれば社会全体がそれを享受することになる」という意味だそうです。ここで紹介されている歌は、川辺や丘にキツネアザミが茂っている様子(菁莪)を眺め、それを憑代とする水神が人里に近づいてくる歓びを歌うものです。キツネアザミは明らかに栽培植物ではなく、勝手に茂っているわけで、しかもすごく役に立つというよりも(薬草として使うこともあるようですが)、むしろあまり茂っていると困るくらいのものです。それが「材」だというのは、水神の憑代だからであって、人間の世界とは違った理屈で、勝手に生い茂っていくのを、元気にやっているなあ、となんとなく見守っていられる人こそが度量の広い「君子」なのだ、ということなのでしょう。(「君子」というのは、歌のなかでは水神のことのようですが、序のほうでは人間への教訓を述べているのかもしれません。)

まあ「東京芸術祭ファーム」の運営側に「君子」というほどの人がいるわけでもありませんが、できるのはせいぜい「何かやってみたい人」のために、なるべく安全にやってみることができる場をつくるくらいのことではないか、と思うと、この『詩経』に採録された歌がしっくりくるように思いました。そんな「人材」が、いつかみんなを楽しませてくれることを祈りつつ、ご応募をお待ちしております。

菁菁者莪 在彼中阿 既見君子 樂且有儀
菁菁者莪 在彼中沚 既見君子 我心則喜
菁菁者莪 在彼中陵 既見君子 錫我百朋
汎汎楊舟 載沈載浮 既見君子 我心則休

茂れるきつねあざみは、川の隈(くま)に。
水神の御出ましに、我が心も楽しみ静まらん。
茂れるきつねあざみは、川の水際に。
水神の御出ましに、我が心も喜ばん。
茂れるきつねあざみは、高き丘の上に。
水神の御出ましに、我らの多福を祈らん。
やなぎの舟はゆらゆらと、浮き沈みしつつ来る。
水神の御出ましに、我が心も喜ばん。
( 『新釈漢文大系第111巻 詩経(中)』石川忠久著、明治書院)

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東京芸術祭ファーム2022 ラボ
参加者募集中のプログラム
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※応募資格等の詳細は、下記より募集要項をご確認ください
https://tokyo-festival.jp/tf_farm

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クータンバラムの開放 2022年2月22日

アジア劇場史に残るであろう決定が下されました。

南インド・ケーララ州で、クーリヤッタム、ナンギャール・クートゥー、チャキヤール・クートゥーを演じるための劇場クータンバラムはヒンドゥー教寺院内にあり、ほとんどは特定カースト以外による上演を禁じてきましたが、主要なクータンバラムの一つが、それ以外のパフォーマーにも公演を許可することになったそうです。

SPACにもたびたび来てくれたナンギャール・クートゥーの代表的演者の一人カピラ・ヴェヌさんによれば、今ではこれらのジャンルのパフォーマーの75%は特定カースト出身者以外の方だそうです。日本人も含め、外国人のパフォーマーも増えています。

かなり時間はかかりましたが、新たな展開が生まれそうです。
https://timesofindia.indiatimes.com/city/kochi/support-grows-for-call-to-open-koothambalams-for-all-castes/

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『アリアーヌ・ムヌーシュキン:太陽劇団の冒険』とリアリズム演技論への問い 2021年10月24日

『アリアーヌ・ムヌーシュキン:太陽劇団の冒険』を見て、今さらながら、この周辺で起きていたことには大きな影響を受けたんだなと思った。歌舞伎や能や文楽に改めて興味を持つようになったのも、留学していた頃にパリの演劇科で、太陽劇団の影響が色濃かったということがあった。自分が西洋演技論史を専門にしたのは、今あたかも普遍的なものであるかのようにみなされている「リアリズム」と呼ばれる演技形式が、特定の地域・時代の特殊な状況のなかで生まれてきたことを示すためだった。この映画のなかでムヌーシュキンは、リアリズムが演劇にとっての最大の危機だと語っている。太陽劇団はインドや日本の演技形態にも普遍性がありうるということを体当たりで示そうとしていた。

太陽劇団の作品や活動のすべてを肯定してきたわけではないが、こういった試みが減ってしまったことはちょっと残念に思っている。いわゆる「リアリズム」的な演技形態や、シェイクスピアやギリシア悲劇のテクストを使うことが「文化の盗用」とされないのは、それに普遍性があるということが前提になっているからだが、これらが普遍的なものとみなされた背景には、植民地時代の政治的・経済的構造がある。ハンバーガーが世界化したからといってその「普遍性」を肯定的に評価すべきとは限らないし、今「エスニックフード」とみなされているものが今後世界化していく可能性は十分にある。

いわゆる先進国においてマジョリティに属するアーティストたちが、植民地支配を受けた国や先住民の文化に目を向けたことは、脱植民地化の一つのステップだった(太陽劇団の場合、ムヌーシュキン自身をはじめ、多くの劇団員が移民層の出身で、マジョリティとも言い切れないが)。それに対して、植民地支配を受けた側や先住民のアーティストたちが「文化の盗用」という批判を向けたのもまた、重要なステップだった。表象の担い手が出自に応じて平等に権利を得られていない状況に対しては、まだまだ取り組まなければならないことがたくさんある。

だがそこには、アイデンティティポリティクスだけでは解決しない問題も少なくない。「普遍」とされるものを疑いながら、「普遍」とされていないものに特定の集団を超える意味を見出すことは、世界の均衡を取り戻すためにまだまだ必要な作業ではないか、などと思いながら、リアリズム演技論の起源について考えつづけている。

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演じること、承認されること 琴仙姫《朝露 Morning Dew – The stigma of being “brainwashed”》 2020年11月9日

「帰国事業」で北朝鮮に一度「帰国」し、脱北して日本に戻ってきた方が200人近くいらっしゃるそうですが、その過去を語ってくれる方は少ないといいます。

明日11/10まで北千住BUoYで開催中の『朝露 日本に住む脱北した元「帰国者」とアーティストとの共同プロジェクト』で上映されている琴仙姫さんの新作《朝露 Morning Dew – The stigma of being “brainwashed”》、圧巻でした。「演じること」に関する作品なのかな、と勝手に思っています。

人は家族や組織、国家といった虚構を日々演じている。自分に与えられた役割を演じることは、時として思いがけない充実感をもたらす。とりわけ、それが集団によって承認されるときには。だが一方で、自分が演じた役が自分を縛っていくこともある。集団で一つの虚構を演じていると、そこから抜け出すのはいよいよ難しくなる。そして一人が役を演じることができなくなっても、芝居はつづいていく。その虚構の全体が破局を迎えるまでは。

これは「大東亜戦争」でも起きたことなんでしょうね。では、今自分たちはどんな役を演じているのか。その渦中にいると、なかなか分からないのですが、もっと考えてみたいと思いました。

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カテゴリー: アジアの舞台芸術

意味を失っていく世界に、手仕事で挑む 『紫気東来—ビッグ・ナッシング』の世界 2020年11月4日

「東京芸術祭ワールドコンペティション2019」の授賞式で、ジュリエット・ビノシュ審査員長が「最優秀作品賞は戴陳連の『紫気東来—ビッグ・ナッシング』」と発表したとき、あっけにとられた観客も少なくなかったのではないかと思います。この作品は今週末11/6-8、映像作品として生まれ変わって、東京芸術劇場とオンラインで上映されます

私も、韓国のプロデューサーのキム・ソンヒさんからこの作品を推薦していただいて、初めてビデオで見た時には、いくつかの場面の鮮烈な美しさに打たれ、遊び心溢れる意外な展開や手法に圧倒されながらも、どう評価したらよいものか、かなり途方にくれました。海外招聘の仕事を十数年してきましたが、こんなに途方にくれた作品はなかったかも知れません。でも何ヶ月か時間をかけて考えているうちに、この作品の面白さやすごみが少しずつ分かってきた気がしています。それをこの数日のうちに評価することができたアーティスト審査員のみなさんはさすがだと思いました。

私にもまだ、この作品がどこまで「分かって」いるのか、心もとないですが、まだ見ていない方、昨年見たもののモヤっとしている方のためにも、私に見えてきたことをいくつか、書き留めておこうと思います(「ネタバレ」ということでもないとは思いますが、予備知識なしで見たい方は鑑賞後にお読みください)。

・未知のノスタルジー

「東京芸術祭ワールドコンペティション2019」では、アーティスト審査会の審査基準を以下のようにしていました。

1)2030年代に向けて、舞台芸術の新たな価値観を提示しているか

2)その価値観の提示の仕方において、技術的に高い質をもった表現がなされているか

アーティスト審査員の一人であるレミ・ポニファシオさん(ニュージーランドのオークランド在住)は、この作品を選んだ理由を「他の作品の多くは「知っているもの」の延長線上にあるように見えたが、この作品は本当に「知らないもの」だったから」とお話ししていました。その意味で、最も「2030年代に向けて、舞台芸術の新たな価値観を提示」しているのがこの作品だったと、アーティスト審査会は結論づけたわけでした。

また、もう一人のアーティスト審査員ヤン・ジョンウンさん(ソウル在住)は、「インドネシア、マレーシア等々、アジア各地に影絵芝居の伝統があるが、この作品はそのどれとも異なる、独自の影絵の手法を使っている」とおっしゃっていました。一見すると、どこかで見たような影絵も出てきますが、たしかに不思議な絵や不思議な影の作り方があちこちで使われています。そして何よりも、全く言葉がなく、物語が突然現れては消え、突然妙な音がしては無音になり、というのは、伝統的な影絵芝居とは明らかに異なっていて、奇妙な夢を見ているような気がしてきます。

それでも、この作品に出てくるさまざまなお化けたちの絵姿も、扇風機、ミシン、ヤカンといった小道具も、なんとなく懐かしい雰囲気を漂わせています。『紫気東来—ビッグ・ナッシング』が見せてくれるのは、懐かしいのに知らない世界、知らないのに懐かしい世界です。

・古典と現代、四つの時間

この作品で二カ所だけ、言葉が出てくる場面があります。スクリーン上では英語で書かれていますが、今回の公演では、戴陳連自身の声で、「私のおばあちゃんは、川辺に住んでいた」と、日本語のナレーションが入っていました。戴陳連は「自分のおばあさんが生きていた世界を理解するため」にこの作品をつくった、とも語っています。

戴陳連は紹興酒で知られる紹興市の出身で、小さい頃はよくおばあさんの家にいたといいます。舞台上で使われる古びたミシンやヤカンは、おばあさんの家にあったものかも知れません。

その前に、やはり紹興市出身で、「近代中国文学の父」とされる魯迅の姿が出てきて、魯迅の顔がやがておばあさんの顔と重なっていきます。舞台の上の小道具に流れているのは、20世紀前半の魯迅の時代と、20世紀後半のおばあさんの時代なのでしょう。その間にヤカンは古び、すてきなミシンもガタガタと大きな音を立てるようになっています。

影絵の中では、腕から口が生えてきて食べ物を食べたり、鳥人間のようなものが出てきたりしますが、これらは『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)』という唐代(9世紀頃)の怪談話を集めた奇書がもとになっているそうです。この本は魯迅の愛読書でもありました。

というわけで、この舞台には、1)唐代、2)20世紀前半、3)20世紀後半、4)現代と、四つの時間が流れているようです。

・「東」から到来するのは何か? 革命と資本主義、「東風」からイースタニゼーションへ

このことに気づくと、『紫気東来—ビッグ・ナッシング』という題名の意味が、ちょっと見えてきます。

中国語の原題は「东来紫气满函关(東来の紫気は函関に満つ)」。これは唐代の詩人杜甫の詩「秋興八首」の一節で、周代に老子が函谷関を訪れたとき、関守は「紫気」が漂っているのを見て聖人の東来に気づいた、という故事が語られています。そこから、今でも中華料理店などで「紫気東来」という言葉がおめでたいものとして掲げられています。

では近代の中国史で「紫気東来」とは何を意味するのか、と考えてみれば、たとえばフランスの映画監督ゴダールに『東風』(1969年、「ジガ・ヴェルトフ集団」名義)という映画があります。ここでいう「東からの風」とは、毛沢東主義(マオイスム)のことでした。1960年代、中国で毛沢東が主導した文化大革命に世界中で多くの人々が影響を受けた時代がありました。西洋文化とは異なる、新たな文化をつくろうという動きが「東からの風」だったわけです。

そしてこの毛沢東が最も評価していた作家が魯迅でした。魯迅は「偉大な革命家」でもあったとされ、中華人民共和国成立後、国語の教科書で大きな位置を占めてきました。その魯迅が生きた時代は、辛亥革命によって清朝が滅びたものの、安定した民主的政権がなかなかできず、混乱がつづいていました。魯迅が生まれた紹興市は中国東部にあるので、その意味でも「東」から来た人物といえますが、魯迅は医学を学びに日本に留学したことがきっかけで中国語による近代文学をつくったので、中国よりもさらに「東からの風」を中国大陸に持ち込んだ作家ともいえるでしょう。

そして現代は、世界の経済や政治の重心が西洋から「東」へと移動していく「イースタニゼーション」の時代といわれています。この動きに大きく寄与したのが、中国の「改革開放」による「社会主義市場経済」の成立でした。文化大革命から半世紀を経た今日、国語の教科書に採用される魯迅作品が減ってきているといいます。その意味でも、魯迅は戴陳連にとって「おばあさんの時代」を象徴する作家なのでしょう。

中国のGDPは2011年に世界第二位の規模になりました。推薦人のキム・ソンヒさんはこの作品の推薦理由のなかで「戴陳連は、資本主義文化ではもはやたどり着くことのできない領域へ(・・・)と私たちを誘う」と語っています。ジュリエット・ビノシュさんは戴陳連について「巨大な市場経済に一人で立ち向かっているかのようだ」と話していました。どちらも、「社会主義市場経済」を掲げる現代中国のアーティストを語る言葉として聞くと、ちょっと複雑な気持ちになります。

整理すると、1)周代(?):老子思想の到来、2)20世紀前半:辛亥革命、3)20世紀後半:文化大革命、4)現代:社会主義市場経済と、「東からの風」は時代によって大きく意味を変えてきました。

たとえば「腕に口が生えて次々と食べ物を平らげていく」という場面も、この四つの時代のそれぞれを背景にしてみれば、さまざまな意味で見えてくるでしょう。

ところが、英語の題名はBig Nothingと、全く違うものになっています。欧米の中華料理店の店名でも、中国語名と西洋語名が全く異なることがあります。たしかに中国の古典を参照していたりすると、そのまま西洋語に訳しても意味をなさないことは多々あるでしょう。とはいえ、「おめでたい気が東からやってくる」と「大きな無」では、さすがに意味が違いすぎて、ちょっと不思議ではあります。「おめでたい気」が、実は「大きな無」だった、ということなのだとすれば、そこには強烈な皮肉が込められていると思ってよいでしょう。

・生き物の時間、人の時間、道具の時間

この作品では、さらにいくつかの異なる時間が流れています。ヒトが生きる時間、鳥など他の生き物が生きる時間、そして扇風機、ミシン、ヤカンといった人が作った道具が生きる時間です。そしてヒト・他の生き物・道具のそれぞれが、影絵の中と舞台の上で二重化され、二つの世界を行ったり来たりしています。

さまざまな生き物のなかで、ヒトという種は比較的最近、この地球上に出現しました。そしてさまざまな道具を使うことで自分たちに都合がいい環境をつくり、他の生き物たちが生きていた空間を奪ってきました。でも、ヒトの命ははかなく、道具もいつか古び、朽ちていきます。ヒトが自分の都合でつくった空間も、隙あらば他のヒトや、他の生き物たちに奪われていきます。人がさまざまな妖怪変化に出会い、何の教訓もないまま、あっけなく身を滅していく『酉陽雑俎』の短い物語群は、そんなヒトの有り様を思い出させてくれます。ここでは「文明」前/後、「人間」前/後の時間が、めまぐるしく切り替わり、往来していくのです。

・意味を失っていく世界に、手仕事で挑む

ヒトがつくった「世界」の中では「意味」が生まれますが、長いことかけて生まれ落ち、育ってきた「意味」も、ふとしたことであっけなく失われてしまいます。時には「世界」もろとも。

戴陳連は、かつておばあさんが生きていた世界、今は失われてしまった意味を体感するために、描き、切り抜き、貼りつけ、動かし、丹念な手仕事によって世界をつくっていきます。でも戴陳連の手のなかから生まれた世界では、意味は絶え間なく滑り落ちていきます。

おばあさんの世界を生きてみようとする戴陳連の郷愁は、おばあさんの時間を越えて、道具の時間、他の生き物たちの時間へと滑り落ちていきます。ヒトの郷愁がヒトを越えていったとき、そこには異なる意味をもった世界が開けてくるのかもしれません。

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カテゴリー: アジアの舞台芸術

Traditional and contemporary in Asia 2019年2月28日

I think I start understanding an Asian issue about so-called “contemporary arts”: Why do we continue to call an art form “contemporary” when it’s related to the “Western” arts history? Why is it so difficult to get out of this system?
One of the reasons is probably that, in Asian contemporary arts industry, the most of people belong to the “progressive” part of the leading class, with a politically liberal mindset, and they don’t find themselves comfortable in “traditional” arts field.
So the problem is, in Asia, in so-called “traditional” arts fields, which means related to local history, it’s not easy to find a liberal or liberating feeling. But at the origin, most often, so-called traditional performing arts were born in a very politically liberating atmosphere. Just in the process of establishment and cultural westernization/colonization, they happened to become something conservative or even reactionary. If so, our (Asians’) urgent need is probably to rediscover this liberating feeling in our local history.

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カテゴリー: アジアの舞台芸術

「舞台芸術」のフレームワーク問題について ~2030年代に向けて~ 2018年7月24日

「舞台芸術」のフレームワーク問題について ~2030年代に向けて~

(ON-PAM政策提言調査室での国際交流をめぐる議論のためのメモ)

「舞台芸術」のフレームワーク問題、というのは、たとえば22世紀に、今私たちがやっていることが語られる枠組みは何なのだろうか、といった問題です。それは「演劇史」ではないかも知れないし、もしかすると「舞台芸術史」でもないかも知れません。

というと、ずいぶん先のことだと思うかも知れませんが、私はこれから2030年代までが、この先どんなフレームワークが世界的なものになっていくかを決定づける重要な時期だと考えています。

「演劇」という概念にそろそろ賞味期限が来ているのではないか、と思っている人は少なくないと思います。今我々が使っている演劇という概念は、基本的には明治時代に西洋のtheatre/Theater/théâtre・・・といった概念の輸入語として使われるようになったものであり、そのもとをたどれば、16世紀から19世紀に西ヨーロッパで形成されてきた概念です。

西ヨーロッパの近代において、演劇theatre、ダンスdance、オペラoperaという3つのジャンルが、それを上演する仕組みと、そのための人材養成の仕組みとともに、制度として形成されてきました。この西欧近代における演劇の定義は、ジャンル規定は、歌と踊りの排除を基準としている以上、他の地域、他の時代の舞台芸術には必ずしも当てはまりません。この話劇としての近代演劇の起源として、いわゆる「演劇史theatre history」なるものが書かれるようになり、そこに古代ギリシアにあったtragoidia, comoidiaといったジャンル(これらのジャンルはtheatronと呼ばれてはいませんでした)や16世紀以前のpassionmystère(「受難劇」、「聖史劇」などと訳されます)といったものが、改めてtheatreとして語られるようになりました。

そして20世紀の後半になって、ようやくこの演劇やダンスといった分類、制度そのものを見直そうという動きが出てくる中で、今我々が語っている「舞台芸術英:performing arts / 仏:arts du spectacle」という言葉が使われるようになってきたわけです。でもこの言葉も、本当に適切な、あるいは有効な言葉なのかどうかは、もう数十年吟味してみる必要があるでしょう。

そもそも、この言葉に対応する西洋語については、英語とフランス語で、だいぶ語義が違っています(他の西洋語についてはよく知りませんが)。

英語の方には、とりわけ1970年代以降にはパフォーマンス・スタディーズ(パフォーマンス学)の影響があります。そして、この「パフォーマンスperformance」という概念は、「舞台芸術」という概念に代わり得る概念でもあります。

1980年代以降、演劇やダンスといった概念自体を見直そうという動きの中で、少なくとも西洋において、この2つの概念は、いわば競合関係にありました。

この2つの概念の大きな違いは、舞台芸術という概念は近代西欧において形成された「芸術art」という概念、そしてその芸術のうちの「ジャンル」という概念(そしてモダニズムにおけるジャンルの固有性・純粋性という概念)をある程度温存する志向を持っているのに対して、リチャード・シェクナーが提唱した「パフォーマンス」という概念は、むしろそれを解体する志向を持っていました。

ヨーロッパにおいては、「舞台芸術」に対応するarts du spectacleといった言葉が、オペラ・演劇・ダンスだけでなく、サーカスやストリートアートまでを含むものとして使われるようになり、さらに各ジャンルが拡張されて、また「複合領域的なもの」をも包含しうるものとして使われるようになりました。「パフォーマンス」という概念が非英語圏ヨーロッパにおいて普及しなかった理由としては、近代的「舞台芸術」各ジャンルが制度として強固に確立していたことだけでなく、performanceという言葉が英語特有のもので、他の西洋語に対応する言葉が見出しにくいという事情もありました。ヨーロッパで「タンツテアター」や「ポストドラマ演劇」のような言葉が流行したのには、ヨーロッパにおいては既存の「ダンス」「演劇」といったジャンルを拡張する方が(少なくとも短期的には)現実的だからでもあります。

ですが、個人的には、「舞台芸術arts du spectacle」よりもシェクナーがアジアやアフリカなどその他の地域の実践、さらにはスポーツや政治、日常生活における「パフォーマンス」にまで目を向けたうえで作り上げた「パフォーマンス」という概念のほうが、長い目で見れば有効性があるように思っています(そう思って、一昨年シェクナーの授業を受けにアメリカに行ったのでした)。

でも、この概念がアメリカにおいてすら十分に制度的に普及しなかった理由の一つは、ニューヨーク大学にパフォーマンス・スタディーズ科ができた1980年以降、アメリカがむしろ内向的になっていってしまい、60年代~70年代の第三世界主義的動きが退潮していった事があります。結果として、アメリカにおいても、「パフォーマンス」という言葉の便利さを生かしつつも、旧来の制度を解体することなく活用できる「パフォーミング・アーツperforming arts」と言う概念の方が、より実践的とみなされて使われるようになっていきました。

では「パフォーマンス」の方にはもう未来がないのかというと、そんなこともなさそうです。シェクナーに学んだWilliam Huizhu Sunは中国に戻り、上海戯劇学院でパフォーマンススタディーズを教え、他の大学にも広がりつつあります。パフォーマンススタディーズは中国語で「表演学」あるいは「人類表演学」と訳されています。この「表演」という表現は、中国語圏ではperformanceの訳語として普及していて、「表演芸術中心(performing arts center)」といった劇場名も見られます。

日本語では、近年芸団協が「実演芸術」という言葉を使っていて、文化行政においてはときどき微妙な選択になっていますね。ここでは「音楽」を含むか否かも問題になっています。

今私たちが行っていることが、一〇〇年後の22世紀にどのような概念、どのような枠組みで記述されるようになるのかは、今から2030年代にかけて、中国・インド・インドネシアにおいてどの言葉が使われるようになるのかにもかかっています。たとえば、テアトル・ガラシのUgoran Prasadは今、劇作家レンドラを中心に語られてきたインドネシア「演劇史theatre history」を、コンテンポラリーダンスの「振付家」と見なされているサルドノ・クスモを中心に書き直そうとしています。これはtheatre/Teaterという概念をインドネシアの実践に適合させていく動きと考えられます。22世紀に使われる概念は、英語やフランス語を基準にした言葉ではなく、「戯劇」や「戯曲」といった中国語の概念が基準になる可能性もあります。この際、もちろん歌舞伎・能・狂言・文楽を「演劇」という語で語ることで独自の「演劇」概念を形成してきた明治以来の日本の経験も一定の役割を果たしうると思いますが、今はこれを世界の他の地域の人々と議論し、共有する機会があまり持てていないように思われます。

今から2030年代にかけての決定的な時期に、私たち日本語話者が、世界の「舞台芸術界」の新たな枠組み形成において役割を果たせるか否かは、ここでの議論にもかかっているのだと思います。

「舞台芸術」のフレームワーク問題について ~2030年代に向けて~ へのコメントはまだありません