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イヴォンヌ・レイナーの「ノー ・マニフェスト」 2017年1月2日

2016/10/28

シェクナーの今週の授業のことが、数日経ってもなかなか頭から離れない。ジャドソン・ダンス・シアターの話。多少知った気になってはいたが、学生の発表と映像を見ながら、1960年代にはここまで行っていたのか、とちょっと呆然としてしまい、いまだにどう考えていいのかよくわからない。

コンタクト・インプロビゼーションという実践自体は日本でも広まったが、その背景にあるジャドソン・ダンス・シアターの思想やイヴォンヌ・レイナーの「ノー ・マニフェスト」(1965)については比較的触れられることが少ない(レイナーについては、木村覚さんや武藤大祐さん他による研究がある)。

No to spectacle.

No to virtuosity.

No to transformations and magic and make-believe.

No to the glamour and transcendency of the star image.

No to the heroic.

No to the anti-heroic.

No to trash imagery.

No to involvement of performer or spectator.

No to style.

No to camp.

No to seduction of spectator by the wiles of the performer.

No to eccentricity.

No to moving or being moved.

身体をモノとしてみること。それ以外のものとして見ることを徹底的に拒否としてみること。あらゆる神話を、あらゆる表象をそぎ落とされた身体を享受すること。しかし、そんなことが本当に可能なんだろうか。シェクナーはこれをダダイズムと比較したりもした。

あちこちでいろんな話を聞いている中で、なぜこんな話が出て来たのか、ということはちょっと分かるような気がしてきた。一つには、ニューヨークにはブロードウェイがあるということ。商業的な舞台芸術の極北ともいえるシステムが確立していたために、それをいわばアンチモデルとして、それとは全く異なるものを作りたいという意識があったのは確かだろう。逆に商業的な舞台芸術のシステムに乗ろうとしなければ、上演によって報酬を得てプロとしてやっていく、ということはニューヨークにおいては全く考えられなかった。以下のレイナーの手紙によれば、少なくとも1960~64年にはそんな状況だったようだ。

若いアーティストへの手紙/イヴォンヌ・レイナー(訳:中井悠)

http://nocollective.com/transferences/rainer/letter.html

そしてアメリカでは1950年代末からテレビが急激に普及しつつあった。もちろんこれについても、米国は世界の先端を行っていた。フレデリック・マルテルの『超大国アメリカの文化力』によれば、米国の知的エリートによるテレビへの反発と恐れが60年代以降の文化政策の大きな要因の一つになっていた。ニューヨークに来て驚いたことの一つは、アカデミズムにおけるフランクフルト学派、とりわけアドルノの影響の大きさである。これはもちろんアドルノが10年近く米国に亡命していたこともあるが、米国の中において、今に至るまで、これだけ大衆文化を批判する理論に興味を寄せている人が多いというのは意外だった。1960年代の米国の先鋭的文化人は、自国の大衆文化を批判しつつも、ヨーロッパ的なエリート文化をも批判し、米国独自の新たな民衆的文化を創造する、という極めて困難な課題を引き受けていた。イヴォンヌ・レイナーのマニフェストは、ある程度この文脈で理解することはできるだろう。イメージの消費文化は徹底的に拒否しつつも、特異な形で物質文化を徹底的に肯定してみること。

シェクナーから、このジャドソン・ダンス・シアターの遺産は、今どのように受け継がれているのだろうか、という問いが発せられた。ある意味で直接の継承者といえるのは、もちろん今でも毎週月曜日の夜にジャドソンチャーチに集っている「ムーブメント・リサーチ」はある。ジェローム・ベルやグザヴィエ・ルロワといった名前も挙げられたが、今一つピンとこない。議論のあと、シェクナーが最後に「少なくともこのあと、正しい道、間違った道というのはなくなったのではないか」と言っていた。レイナーが示した道はあまりにも険しく、その先に本当に道があるのかもよく分からない。だが、その荒野を歩いてみた人がいたということ自体は、何かしら希望になるような気もする。

Yvonne Rainer, Trio A (1966振付, 1978にソロで再演)

https://www.youtube.com/watch?v=TDHy_nh2Cno

http://www.getty.edu/research/exhibitions_events/exhibitions/rainer/

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NYUフランス演劇シンポジウム 2016年12月28日

2016/10/14

先週末、ニューヨーク大学でフランス演劇をめぐるシンポジウムがあった。はじめは相思相愛といった感じで穏やかなものだったが、リチャード・シェクナーの「今やパリは一地方都市になったのではないか」といった挑発的発言をきっかけに紛糾。

はじめて知ったが、シェクナーの博士論文はイヨネスコを扱ったもので、そのために1961年にパリに滞在していたという。シェクナーは、ニューヨークのここ数十年の演劇・パフォーマンスを主導するアーティストや劇場の名前を挙げて、近年のパリでこのようなアーティストや劇場が生まれてきたのか、パリは今でも最も「前衛的」なパフォーマンスが見られる都市として世界から注目されているのか、といった問いを発した。それにたいして会場のフランス人たちが猛然と反論。「今日のフランスにはパリだけではなく、地方にも重要な拠点があり、若い重要なアーティストもたくさん生まれている」、等々。なんだか急にお国自慢合戦になったみたいで、ちょっと面白かった。

その前のセッションで、「フランスにおける新たなパフォーマンス」として何人かの若手アーティストが紹介されたが、ニューヨークの文脈で見てみると、今一つその新しさがピンと来ない。私はそれぞれのアーティストの作品を知っているので、フランスでなぜ評価されているのかはわかる。だが、ニューヨークの演劇界あるいはパフォーマンスの状況の中で見てみると、評価基準がそもそも異なるのに気づかされる。

一方、フランスにいるときに、ニューヨークの最新若手アーティスト、といった形で紹介されたアーティストについても、正直同じような感想を抱いたことが少なくない。ニューヨークでは確かにある意味で先鋭的な試みが行われてはいるのだが、少なくともフランスやドイツと比べれば、それに多くの観客が集まっているとは言いがたい。商業演劇と実験的な演劇の溝があまりにも大きい。

それに対してフランスでは、すごくおおざっぱにいってみれば、そこそこに「先鋭的」な演劇に、かなり多くのお客さんが来る構造があり、それはすばらしいとは思う。このちがいの最大の理由は、公共体からどれだけ資金を得ているか、ということだろう。とりわけ1960年代以降、民間劇場から公共劇場へと「実験的」演劇の場が移行していったフランスでは、「どれだけ多くの市民が来るか、あらゆる社会階層の市民が来ているか」ということにかなり気を使う。今回紹介された「フランスにおける新たなパフォーマンス」が「新しい」のは、発表者によれば、とりわけ若年層の新たな観客層を取り込んだ、というところにある。

公共体から資金提供をされることがほとんどない米国では、観客層への配慮の重要性は比較的下位になっているように見える。「実験的」で「先鋭的」な試みをしているアーティストに、民間の財団や篤志家・サポーターからそれなりの資金が集まることもある。また、そのようなアーティストが同時に大学などで教えている場合もフランスよりはるかに多い。その米国の視点から見れば、フランスの「新たなパフォーマンス」は、「先鋭的」というよりも、むしろ観客迎合的に見えてしまうかも知れない。「新しい」か否か、というのはかなり文脈に依存している。つまり、「新しい」か否かは、今ここで、何が「主流」なのかということによって規定されざるをえない。

それはそれとして、では今日、どこに行けば一番面白いものが見られるのか、というのは、正直私にもよくわからない。かつてのリヴィング・シアターや太陽劇団に相当するような、世界的に影響を与える劇団やアーティストはどこに集まっているのか。

ケベック出身で今はパリ第三大学で教えているジョゼット・フェラルはシェクナーに対して「前衛という概念自体、今では意味を失っているのではないか」と反論していた。最近思うのは、演劇あるいはパフォーマンスにおいて重要なアーティストが出現するには、そのアーティスト、あるいはその人の理念を信じる集団がいなければならない、ということ。それを信じることができるような社会構造自体が失われてきたのではないか。

さらには、人々が集団として集まることによって社会を変革することができる、ということを信じることすらも難しくなってきたように思う。それは当然、いわゆるグローバリゼーションの帰結でもある。つまり、たとえば国くらいの単位で何か変えようとしても、それよりも大きな存在によって、どうせその変化が押しつぶされるのではないか、といった諦念が背景にはあるのではないか。多くの人が、うすうすとにせよ、国際政治のトリレンマ構造に気づきつつあるのではないか。(そもそもトリレンマという発想自体、まだ国民国家という選択肢がある、という希望的観測に基づいているともいえるが。)60年代と比べて、身のまわりにある情報があまりにも増えているということもある。その分、一つの理念、一人の信念を信じる、ということ、あるいはそれに大多数の人が賛同する、ということが難しくなっているのかもしれない。

ある国や都市に世界中から一番面白い人たちが集まってくる、ということはなくなったが、とはいえ「面白い人」自体がいなくなったわけではないとは思う。あちこちに行くのがかつてより容易になった分、いろいろな面白い人に出会うには、あちこちに足を運ばないといけなくなったのは確かだろう。

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シェクナーの授業、リヴィング・シアター

2016/10/12

ニューヨーク大学(NYU)パフォーマンス・スタディーズ科のリチャード・シェクナーによる授業、今期が最後とのこと。シェクナーさんは今年で82歳。今季のテーマは「THEN AND NOW: THE 1960s-80S COMPARED TO THE PRESENT」。前回はリヴィング・シアターとオープン・シアターの話。シェクナーさんとオープン・シアターの元主演女優のやりとりも。パフォーマンス・スタディーズという学問自体がニューヨークを中心とするパフォーマンスの実践と大きく関わっていたのが体感できる。不思議なご縁でこの授業に立ち会えることになり、これだけでもアメリカに来た甲斐があった気がする。

***

ニューヨークに来て一番驚いたのは、リヴィング・シアターがまだ存続していたということ。しかも今の芸術監督は30代前半。来年の70周年(!)に向けて、『政治的サドマゾヒズムのための七つのメディテーションSeven Meditations on Political Sado-Masochism』(1973年初演)を再クリエーション中だという。先週ニューヨーク市立大学(CUNY)でプレビューがあった。「私有は殺人だ!」と叫ぶ若者たち。このあたりにいると、全米統計的には滅多に出会わないはずの人とばかり出会ってしまっているような気もする。

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リチャード・シェクナーとACC

2016/09/22

リチャード・シェクナーさんのお話。1968年に『ディオニソス69』を上演していたとき、ジョン・D・ロックフェラー三世が観にいらした。公演後、声をかけてくれ、「アジアには行ったことがありますか?」と聞かれた。「ありません」と答えた。「行ってみたいですか?」と聞かれたので、「はい」と答えた。すると、名刺をくれ、「いつでも、好きなところに行っていただければ良いので、こちらにご連絡ください」とおっしゃってくれた。それで、1970年から、中国、日本、台湾、インド、マレーシア、インドネシア、パプア・ニューギニア、シンガポール等々に行くことができた。70年にインドで1ヵ月間クリシュナマチャーリヤからヨガを学ぶことができたことは、私にとって、博士論文と同じくらい重要な経験だった。また、各国で出会ったアーティストが、その後ニューヨークにも来てくれるようになった。

ジョン・D・ロックフェラー三世は1956年にアジア・ソサイエティーを創立し、ジャパン・ソサイエティの活動にも大きく寄与している。アジアとの交流をさらに深める事業を考えていた時にシェクナーと出会ったらしい。この2人の出会いがなければ、シェクナーが非西洋的なパフォーマンスの形態と出会うこともなく、もしかしたらパフォーマンス・スタディーズも生まれなかったかもしれない。こう思うと、ACCとパフォーマンス・スタディーズの間には、ある種必然的な関係があったともいえる。

(シェクナーは1970年には36歳だった。自分もまだあと40年あるのかと思えば、ちょっと希望が湧いてくる。)

※その後ACCの方に伺ったら、「ジョン・D・ロックフェラー三世ではなくて当時の理事長と会ったんじゃないかな」という説も。

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パフォーマンス・スタディーズの80年代以降の展開

2016/09/17

(承前)パフォーマンス・スタディーズは、70年代末~80年代初めの成立当初には文化人類学との結びつきが強かった。1960年代~70年代にはアフリカや中東諸国の独立が相次ぎ、文化人類学は植民地的状況を背景にした研究のあり方への見直しが迫られていた。パフォーマンス・スタディーズはこの動きを受けて、西洋中心的な「演劇」・「ダンス」といった概念を再検討するに至った。ニューヨーク大学に世界で初めてのパフォーマンス・スタディーズ科ができたのは1980年。

だが、80年代はエイズ危機の時代でもあった。トニー・クシュナー『エンジェルズ・イン・アメリカ』第一部は1989年発表。古橋悌二さんは1985年にはじめてニューヨークに行き、1992年にHIV陽性を発表。1993年にACCグランティ。ダムタイプの『S/N』は1994年に初演された。セクシャル・アイデンティティの問題がとりわけこのニューヨークで、何よりも重要な社会的問題の一つになった背景には、全国どころか世界中からセクシャル・マイノリティーが集まってくる、というこの町特有の事情もある。同時期にフェミニズムも新たな展開を迎えている。ダナ・ハラウェイの「サイボーグ宣言」が1985年。

セクシャル・アイデンティティの問題が重要な課題として扱われることになったのにつれて、植民地批判に留まらない、より普遍的な批判理論が重要視されるになった。80年代以降、「他者をいかに受け入れるか」という問題から、「他者としての自己をいかに社会に受け入れさせるか」、という問題に移行してきたように見える。これは、まさにパフォーマティヴな展開だったと言えなくもない。白人男性がエキゾティックな文化をいかに自分の生活に取り入れていくか、という問題が、それ自体コロニアルなものとして批判され、ヘテロ男性が作ってきたホモソーシャルな社会の中で、どうすればセクシャル・マイノリティーあるいは女性が正当な地位を獲得できるのか、という問題が、より切実な問題と見なされたことも納得はできる。この時に、文化人類学やポスト・コロニアリズムの理論が、必ずしも役に立たなかった、というのは確かだろう。とりわけ、フランクフルト学派やフーコー等のフレンチ・セオリーが重要性を持った理由も納得ができる。もう一つ、ポスト・コロニアリズムが盛り上がれていない背景として考えられるのは、全く異なる問題だが、セクシャル・マイノリティーとフェミニストがある程度連帯できたのに対して、なぜかアフリカ系、アラブ系、アジア系、ヒスパニック系の連帯ができていないということもある気がする。

だが、西洋中心主義から逃れようとしていたはずのパフォーマンス・スタディーズが、いつの間にか再びフランス現代思想に根拠を見出そうとしているのは、なんだか皮肉なことのように思えてならない。うがった見方をすれば、パフォーマンス・スタディーズのアカデミズムにおける制度化の中で、フレンチ・セオリーが、ある種の権威付けの役割を果たしたのではないかという気もしないではない。

また、セクシュアリティーがアイデンティティーの問題とみなされると、本質論的な議論になりがちに思える。そのなかで逆に、いかにして他者の欲望を自らのものにするか、あるいは、いかにして自らの欲望を他者に共有してもらうか、という問題が比較的マイナーな問題になってしまったとすれば、ちょっともったいないようには思う。また、ダナ・ハラウェイらによる生物学としての人類学に対する批判は重要だが、パフォーマンス・スタディーズにおいて理科系の人類学・心理学との関係性があまり見られないことも、私には少し残念なことのようにも思われる。

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パフォーマンス・スタディーズと文化人類学

2016/09/17

パフォーマンス・スタディーズと文化人類学に興味がある、というと、今のところ、どこに行っても困った顔をされる。ニューヨーク市立大学では、うちは演劇科だから、といわれ、ニューヨーク大学のパフォーマンス・スタディーズ科に行ってみても、文化人類学はどちらかというとノースウェスタン大学かな、といわれる。確かにニューヨーク大学のパフォーマンス・スタディーズ科の先生たちを見ても、ほとんど文化人類学と関係がある先生はいない。創立者のリチャード・シェクナーくらい。誰に聞いても、それならシェクナーだね、といわれるばかり。

昨年のPSi (Performance Studies international) in Aomoriに参加してみて驚いたのは、アメリカのパフォーマンス・スタディーズの研究者たちが、フーコー、ドゥルーズ、デリダといった名前ばかり口にすることだった。パフォーマンス・スタディーズはここ20年ほどで、シェクナーがはじめた時代とはだいぶ違うものになっているらしい。もはやシェクナーが切り拓いてきたようなフロンティアがなくなってきていることも理由の一つなのかもしれない。せっかくアメリカに来てフレンチ・セオリーを学んで帰るのも癪なので、もうちょっと別のことをしている方を見つけたいところなのだが。とりあえず、少しずつ、どうしてこういう状況になってきたのかはわかってきた気がする。いろいろ考えさせられる。

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