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アメリカンズとアメリカーノス メキシコ舞台芸術ミーティングENARTES 2017年1月9日

では、米墨国境の向こう側は今、どうなっているのか。
TPAMで出会ったエレノさん、ニューヨーク大学パフォーマンス・スタディーズ科で出会ったディエゴさんに勧められて、昨年12月にはじめてメキシコ舞台芸術ミーティングENARTES(Encuentro de las Artes Escénicas)に参加させていただいた。
 
ENARTES (Encuentro de las Artes Escénicas), 12/6-12, La Ciudad de México
http://fonca.cultura.gob.mx/enartes2016-presentacion/
 
ENARTESがはじまる前日にメキシコシティに到着したので、国際交流基金メキシコ事務所の州崎勝所長にメキシコの演劇事情についてお話をうかがった。日本とメキシコの間の演劇交流はあまり多くないそうだ。近年では、パパ・タラフマラや維新派の公演はあったが、メキシコの演劇人が日本で公演した例はほとんど聞かない。佐野碩は メキシコ近代演劇の父とされ、近年メキシコの大学でも研究は盛んに行われているものの、今のメキシコの演劇人の間でよく知られているとはいいがたい。ダンスの日墨交流はもう少し多い。室伏鴻さんをはじめ、舞踏の方々が何人もメキシコを訪れていて、メキシコのダンス界にも大きな影響を与えている。
 
州崎所長から、メキシコの映画やテレビ、舞台で俳優として活躍なさっている室川孝博さんをご紹介いただいた。現在メキシコ演劇界で活動している日本人は、日系メキシコ人を除けば、ほとんど他にいないという。メキシコでは、立派な国立・公立の劇場はたくさんあるものの、そこにパーマネントに劇団が付属しているという例はまずない。多くの場合、フリーで活動している演出家や俳優が集まって作品を作っている。舞台ではまず食べていけないので、テレビや映画の仕事の合間を舞台に出演している俳優が多いが、それでも舞台で活躍することで初めて真の「俳優」として認められる、という傾向はある、とのこと。
 
メキシコは制度的革命党が1929年以来、2000年~2012年の十数年を除き、直近一世紀の大半にわたって政権を握っている(党名の変更はあったが)。制度的革命党はキューバなど社会主義諸国と交流を保つ一方で、経済的には資本主義的なシステムを取り入れ、米国との取引を増やして経済を活性化させる、という複雑な舵取りを行ってきた。「メキシコの不幸は、アメリカ合衆国の隣にあることだ」などと言われたりもするが、そのせいもあって、ラテンアメリカ諸国では最も経済的に発展した国の一つでもある。米国の側からはメキシコから米国に来る移民が注目されるが、実は他のラテンアメリカ諸国からメキシコに来る移民も数多い(米国への入国が目的の場合も少なくないが)。
 
社会主義国では、旧ソ連や中国のように、国立劇場が劇団を持ち、国立演劇学校がそこに人材を提供する、というシステムを採っていた国が少なくないが、米国は全く逆に、国が直接に劇場や劇団を作るということを極力避けてきた。国立の劇場はあるが劇団はないメキシコは、ある種中間的な仕組みともいえる。今回の舞台芸術ミーティングENARTESは国立芸術基金FONCA(Fondo Nacional para la Cultura y las Artes)が主催し、今回が8回目になる。舞台芸術の発信には力を入れているようだ。今回訪れた国立の劇場設備は全て、かなり充実したものだった。メキシコでは今年の12月16日、国家文化芸術審議会(CONACULTA)が改組されて文化省が創設された。だが経済危機の余波もあり、文化予算は逆に縮小されてしまったという。
 
ENARTESがはじまってみると、まずは米国からの参加者が多いのに驚かされた。オースティンで出会った方だけでも、10人近く再会できたのではないか(オースティンに来ていたラテンアメリカ出身の方も少なくなかったが)。しかも米国やカナダからの参加者のほとんどがスペイン語が堪能。スペイン語が母語でない人でも、仕事やプライベートで何度もラテンアメリカを訪れているようだ。カリフォルニアから来ていたアジア系のプロデューサーも「カリフォルニアで生きていくにも少しくらいはスペイン語ができないとね」とのこと。シカゴ出身のキューバ系のアーティストから、「数年前からキューバの劇団とコラボレーションをしていて、シカゴの大学生を毎年キューバに連れて行ってワークショップをやっている」という話を聞いたのにも驚いた(長年に渡って、キューバ系以外のアメリカ人がキューバに渡航するのには大きな制限があった。キューバへの学生の渡航は2011年に可能になったらしい)。
 
200人ほどのプレゼンター(作品を招聘する側の参加者)のうち、アジアからは私を含め5人。他には、やはり舞台芸術ミーティングを手がけている韓国のKAMSから2人、シンガポールのダンスフェスティバルから2人。ヨーロッパからの参加者はおそらくスペインの方が数人のみ。アフリカからの参加者には出会わなかった。つまり、圧倒的多数は南北アメリカ大陸の方だった。ラテンアメリカ諸国のなかではかなり作品やアーティストの行き来が多いらしい。
 
六日間で二十本以上のショーケースを見たが、演劇については、魅力的な俳優が多いのが印象的だった。古典を通じてメキシコの問題を語る作品に秀逸なものがいくつか。同性愛やトランスジェンダーを扱った作品も少なくない。メキシコはカトリック教徒が国民の八割以上を占めるにも関わらず、2012年に同性婚が認められている。マヤ人の女性たちが自らの日常を語る演劇作品も。北部国境地帯に住むヤキ族の鹿踊りが、笛まで日本の神楽や鹿踊りに似ていて、これにも驚かされた。
 
ヤキ族の踊り
https://www.youtube.com/watch?v=IVcEUvFHMr4
 
墨米国境の壁を扱った作品もあった。墨米国境は3,000キロに及ぶが、すでにその三分の一にはフェンスが建設されている。米国内にはすでに3,000万人ほどのメキシコ系の住民がいて、メキシコには70万人以上の米国人が住んでおり、世界で最も多くの人が行き来する国境だという。メキシコシティにいると、「経済危機」とは聞くが、米国に比べてそれほど生活水準が低いようには見えず、どうしても米国に行きたい、という事情は理解しにくい。近年のメキシコの失業率は5%以下とかなり低い。物価は庶民的な飲食店であれば米国の半分くらいだが、スターバックス(かなりあちこちにある)ではコーヒー一杯3ドル(60ペソ)くらいするのに、ビジネスマンだけでなく学生の姿も見かける。
 
だが、富裕者層と貧困層、都市と地方の格差がきわめて大きいらしい。国境に近い地方の劇場の芸術監督によれば、地方の農業労働者の賃金は一日1ドル~2ドル程度。それが合衆国側に行けば、不法移民でも一日10ドルくらいはもらえる。(ちなみにニューヨーク市の最低賃金は一時間9ドルで、2019年までに15ドルに引き上げられる予定。)だから命の危険を冒してでも壁を超え、砂漠を越えて、合衆国側に行こうとするのだ、という。
 
しかし「トランプ後」の状況については、多くのメキシコ人にとって、「壁」よりも関税への懸念の方が大きいだろう。NAFTAで関税を免除されていたメキシコ産自動車への高関税導入を掲げたトランプ大統領の当選によって、メキシコペソは急落した。メキシコペソは現在、対米ドルで十年前の半分近くの1ドル=20ペソ近くまで値を下げている。メキシコの自動車産業は世界第七位で、米国や日本メーカーも多く進出している。日本とメキシコは舞台芸術よりも何よりも、自動車産業を通じて、ある程度運命を共有している。そしてメキシコの自動車産業は対米輸出への依存度が高い。とはいえ、捨てる神あれば拾う神あり、なのか、EU離脱を決定した英国がメキシコとの貿易拡大を模索している。
 
Newsweek: BREXIT AND TRUMP MEAN GLOBALIZATION IS CHANGING, NOT ENDING
http://www.newsweek.com/great-brexit-swindle-trump-free-trade-vote-530910?rx=us
 
最終日に少し足を伸ばして、室川さんのご案内でテオティワカン遺跡のピラミッドを観に行ってきた。市内中心部からタクシーとバスを乗り継いで二時間ほど。ナバホの国から来てみると、紀元前後からこのような巨大な建造物があったことに驚く。工芸品を見ても、北米先住民のものとは手間のかけ方も図案の複雑さも全く異なる。ヨーロッパ人がここに来る以前は、むしろこちらがアメリカ大陸の文化的中心だったのだ、ということを実感させられた。
 
なぜこれだけのちがいが生まれたのか。ジャレド・ダイアモンド(『銃・病原菌・鉄』)によれば、今のアメリカ合衆国となっている地域では、農作物となりうる植物がほとんどなく、先住民によって農業が行われていた地域も、メキシコなどで開発されたものが持ち込まれてきてはじまったのだという。石のピラミッドではなく多くのマウント(土塁)を築いたミシシッピ文化は、ヨーロッパからの移民が到達する以前にメキシコからヨーロッパ由来の病原菌が到達したためにほとんどの住民が亡くなり、壊滅してしまったらしい。ナバホの国では、そもそも農業に適した土地も水もかなり限られていて、大きな人口がまとまって定住できるような環境にない。それに対してメキシコシティは、かつては巨大な湖で、何世紀もかけて少しずつ干拓して、肥沃な土と豊富な水を利用して、アステカ帝国の首都テノチティトランとして築き上げられた。
 
ではなぜ、それから数世紀で南北の力関係が逆転してしまったのか。メキシコ独立後の度重なる内乱と、米墨戦争の敗北も大きかったのだろう。メキシコの人口は日本とほぼ同じで、面積は約6倍。経済成長率は2%前後。文化的バックグラウンドの豊かさを見ても、舞台芸術の分野で、これからラテンアメリカ諸国以外でもメキシコの作品が見られる機会は増えていくだろう。
 
舞台芸術においては、アメリカンズとアメリカーノス(アメリカ大陸の英語話者/スペイン語話者)のあいだの相互浸透が進んでいるようだ。この大陸の数十年後の姿を予見しているようでもある。
 
(墨米国境地帯の歴史についてはこちら)
http://yoshijiy.net/2017/01/02/%E3%83%86%E3%82%AD%E3%82%B5%E3%82%B9%E5%B7%9E%E2%80%8B%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%80%81npn%E5%B9%B4%E6%AC%A1%E7%B7%8F%E4%BC%9A%E3%81%A8%E3%80%8C%E3%82%A2%E3%82%A4/
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テキサス州​オースティン、NPN年次総会と「アイデンティティ」 (2)NPN/VANの国際的ミッションと米国の未来 2017年1月2日

2016/12/27

NPN/VANはアメリカ国内の70の組織が参加するクローズド・ネットワーク。日本やヨーロッパでは「ナショナル」というと政府関連の機関のように思ってしまいがちだが、米国においては「政府は文化芸術に口を出さない」という原則があるので、「全国規模の」というような意味だと思えばわかりやすいのだろう。

だが、それ以上に、米国においては、そもそも国家というものは国民一人一人のイニシアティヴで作っていくものだ、という了解がある。その意味では、これも「国立」という言葉の意味と重なるところはある。NPN/VANも、参加/メンバー団体がボトムアップのイニシアティヴで作ってきた組織だ。日本のJCDN(Japan Contemporary Dance Network)は、NPNでインターンをした経験がおありの佐東範一さんが、これをモデルにして作られたという。

1985年にNPN/VANが作られた最大の目的はアーティストの国内ツアー/モビリティを促進すること。米国はあまりにも大きく、「国内」ツアーにしても、たとえばニューヨークからフェニックスまでは6時間のフライトになるし、ニューヨークから比較的近いワシントンDCやボストンでも、飛行機に乗らずに行こうと思うとかなり時間がかかる。

今回この会合に参加してみて気づいたのは、ニューヨークでは他の州で作られた作品を見る機会がきわめて限られているということだ。カリフォルニアなど西海岸の作品どころか、東海岸の他の都市の作品ですらそれほど上演されていない。ニューヨークでは、場合によってはカリフォルニアの作品を呼ぶよりも、ヨーロッパの作品を呼ぶ方が、助成金なども考慮すると安くつく場合すらあるという。

NPNは全米組織としてニューオリンズにある本部が大型の助成金を定期的に獲得しメンバーに配分することで、ツアーを組みやすくしている。また、レジデンシーツアー(ツアーの際には各地に一週間滞在して教育プログラムなども行うようにする)、定額報酬制など、プレゼンターとアーティストが密接かつ対等の関係を築くためのきめ細かい仕組みが作られてきた。

メンバーとなっている「パートナー組織」が助成金を確実に使えるように、固定メンバー制を採っている。パートナー組織は地域、文化背景、運営規模などのバランスを考慮して選ばれていて、ニューヨーク州からは70団体中、Performance Space 122など5団体。50州のなかでは比較的多いともいえるが、ニューヨークから来ると、圧倒的多数のそれ以外の地域の人々と一度に出会えるのは得がたい機会だった。

パートナー組織となるには、地域バランスだけでなく、NPNの理念も共有しなければならない。理念として真っ先に上げられているのが「社会的・人種的公平性(Social and racial justice)」。人種的・性的マイノリティが芸術分野において十分に表象されていない現状を変えていく、というのが、設立以来の理念となっている。

発足準備の会合をしたときに、その場に集まったのが白人ばかりだったのを見て、​アフリカ系、アジア系、ネイティブ・アメリカン、ラテン系などの団体にも声をかけ、孤立しがちな地方で活動するマイノリティのアーティストを支援することも活動に含めるようになった。

NPNの会合では、人種的・性的マイノリティ差別を排除するためのガイドラインが設けられている。米国に永住していないアジア人として参加してみて、多くの方が議論や会話に参加できるように促してくれるのがありがたかった。

NPN/VANは2016年度、226のプロジェクトに対して180万ドルを助成(マッチングファンドによるレバレッジ効果370万ドル)、30万人の観客・参加者に作品等を提供。

助成対象となった1,000人のうち62%は「有色のアーティスト(artists of color)」だったという。

さらに文化的多様性を促進するために、ラテンアメリカ・カリブ海とアジアに関しては、双方向の国際交流プログラムを実施している。それぞれ「パフォーミング・アメリカス・プログラム(PAP)」、「アジア・エクスチェンジ」と名づけられている。前者はすでに15年前から実施されていて、24人のラテンアメリカ・カリブ海のアーティストを米国で、同じく24人の米国のアーティストをラテンアメリカ・カリブ海でツアーを実施してきた。

後者は2010年にはじまり、韓国のKAMS(Korea Arts Management Services)、日本のJCDN、ON-PAM、アーツNPOリンクをパートナーとし、国際交流基金、日米友好基金、KAMSの支援を受けて、日韓のアーティストの米国ツアー二回、米国のアーティストの日本における滞在制作を三回行ってきた。

今年は関かおりさんがシカゴで滞在制作を行っている。「アジア・エクスチェンジ」をめぐるセッションではKyoto Experimentの橋本裕介さん、Dance Boxの岩本順平さん(横堀ふみさんが原稿を執筆なさったという)が東アジア・東南アジアの舞台芸術状況に関する紹介もあった。それぞれ、アジアのアーティストたちとのこれまでの共同作業の実績を踏まえ、明確なヴィジョンを提示するもので、質疑応答も活発だった。

これらのプロジェクトには、ラテン系・アジア系のバックグラウンドをもつ米国在住のプロデューサーやアーティストがもつ知見やネットワークを活用する、という意図もある。「パフォーミング・アメリカス・プログラム(PAP)」はマイアミ在住でキューバ系のエリザベス・ダウドさんがコーディネーターとして活躍していて、後者についてはカリフォルニアを拠点とする吉田恭子さんの存在が大きい。(今回私に声をかけてくださったのも、ON-PAM会員でもある吉田さんだった。)

オースティンという町は、今や第二のシリコンバレーとも言われ、急速な発展を遂げている。あるセッションでは、オースティンをモデルとして、ジェントリフィケーションによって、古くから街に住んでいた有色人種(ヒスパニック系とアフリカ系が多い)の貧困層が中心部から立ち退きを余儀なくされていく、という問題をどう解決すべきかについて議論していた。

(参考)TEDxNewYork>貧困層が土地を追われ、よそ者が街を支配する… アメリカで注目を浴びる「ジェントリフィケーション問題」とは

http://logmi.jp/41962

オースティンのNPN/VANのメンバーたちは(自身がヒスパニック系の方も含め)、ここがかつてメキシコの一部だったことを強調していた。米墨戦争で獲得・確保されたテキサスからカリフォルニアに至る旧メキシコ北部に「ヒスパニック系(とりわけメキシコ系)」の住民が多いのは、歴史的にも地理的にも、それほど不思議なことではない(テキサス革命時にはすでにメキシコ系よりもアングロサクソン系の住民の方がずっと多かったわけだが)。問題は、移住者によって新たな共同体、新たな文化が創られていくときに、それまであった共同体/文化に対して十分に敬意を払えるか、ということだろう。

劇場などの文化施設は往々にしてこのジェントリフィケーションの原因の一つを作り(場合によってはまさにそれを目的の一つとして創設される場合も少なくない)、またそれによって恩恵を受けるものでもある。そのことにどこまで意識的になれるか。米国のプロデューサーやアーティストたちがこの問題を強く意識しているのは、人口密度と移動性のちがいもあって、日本よりもこのジェントリフィケーションが急激に進行するケースが多いせいなのかも知れない。

ただし、オースティン市全体のここ半世紀の人口動勢を見れば、白人・アフリカンアメリカンの割合が減少し、「ヒスパニックあるいはラテン系」とアジア系が増える傾向にある。つまり、もともとヒスパニック系の割合はそれなりに多かったが、近年になっていよいよ増えているわけで、その増加率は白人の増加率よりもずっと高い。

2010年の統計によれば、オースティン市の人種構成は、白人68%(非ヒスパニックの白人49%)、ヒスパニックあるいはラテン系35%(メキシコ系29%、キューバ系5%他)、アフリカンアメリカン8%、アジア系6%、アメリカン・インディアン1%。全米の最新統計(白人72%(非ヒスパニックの白人69%)、ヒスパニックあるいはラテン系13%、アフリカンアメリカン13%、アジア系5%、アメリカン・インディアン1%、2014年)に比べても、ヒスパニック系の多さが際立っている。

現在、いわゆる「マジョリティ=マイノリティ州(Majority-Minority States, 非ヒスパニック系白人以外の「マイノリティ」が多数派になっている州)」はカリフォルニア、ハワイ、ニューメキシコ、そしてテキサスの四州だが、2044年には全米で「非ヒスパニック系白人」がマジョリティではなくなるという予測が発表されている。2050年には米国内のヒスパニック系の人口は倍以上になるとの予測もある。

今回一番熱を帯びていたセッションの一つは、ツアー可能なラテンアメリカの作品を紹介するものだった。マイアミではスペイン語演劇の国際演劇祭も行われているという。キューバの対岸に位置するマイアミでは、スペイン語話者が人口の三分の二以上を占めている。米国のメンバーからもスペイン語で質問が発せられたりする。このオースティンでのNPN年次総会は米国の未来を先取りしているようにも見えた。

マイアミ国際ヒスパニック演劇祭(International Hispanic Theatre Festival of Miami/Festival Internacional de Teatro Hispanico de Miami)

http://www.arshtcenter.org/Tickets/Subscriptions/International-Hispanic-Theatre-Festival/XXIX-International-Hispanic-Theatre-Festival/

テキサス州​オースティン、NPN年次総会と「アイデンティティ」 (2)NPN/VANの国際的ミッションと米国の未来 へのコメントはまだありません
カテゴリー: ACC NPN メキシコ 文化政策

テキサス州​オースティン、NPN年次総会と「アイデンティティ」 (1)テキサスとメキシコ/テハスとメヒコ

2016/12/24

困窮した農民たちが新天地を夢見て、次々とメキシコ国境越えていく。アメリカ合衆国からメキシコ領テハス州へ。

・・・というのは1820年代から30年代の話。NPN/VAN(National Performance Network/Visual Artists Network、以下”NPN”と略す)年次総会にご招待いただき、12月2日にアリゾナ州フェニックスからテキサス州オースティンに。これもまた、ニューヨークでは見えていなかった「アメリカ」が垣間見えるいい機会になった。

地元オースティンの劇団プロジェクトテアトロ(ProyectoTeatro)の作品『不法移民たちのために(Por Los Majados / For the Wetbacks)』に寄せられたスタンディング・オベーションが、今回のNPN総会のトーンを集約していたように思える。

2014年に中央アメリカ諸国から何千人もの未成年者が不法移民として国境を越えてやってきた事件の背景を、米国のパナマ侵攻などラテンアメリカ諸国への度重なる介入に探る作品だが、何よりも実際にラテンアメリカ諸国出身の子どもや青年たちが「なぜ米国に来ざるを得なかったのか」を自分のこととして語るのには、心を打たれずにいられない。もちろん誰もがトランプの「壁を作る」発言を思い起こしつつ見ていたのだろう。だが同時に、これだけ強烈に米国の対外政策を批判する作品を、圧倒的多数のNPNメンバーが支持しているのが、ちょっと不思議でもあった。

https://www.fuseboxfestival.com/featured-pr…/por-los-mojados

オースティンはテキサス州の州都で、名前は「テキサス革命」の主導者スティーヴン・オースティンに由来する。1819年の恐慌により、米国の実業家でスペイン王国臣民でもあったスティーヴンの父モーゼス・オースティンは鉱山経営から撤退を余儀なくされ、テキサス(スペイン語の発音はテハス)での植民事業を計画した。1820年、モーゼスはスペイン王国のテハス州知事から公有地払い下げの許可をもらう。

だが翌年1821年にはモーゼス・オースティンが死去し、メキシコは独立。息子のスティーヴン・オースティンはこの事業を引き継ぎ、時々刻々と政情が変わるなか、メキシコ新政府との度重なる交渉を経て、メキシコ国籍を得て、アングロサクソン系の米国人たちをテキサスに入植させた。これには国防上の理由もあった。テキサスはあまりに人口密度が低く、まだアメリカ先住民の支配が及んでいる地域もあった。入植者にはスペイン語の使用とカソリックの信仰が義務づけられた。まもなくテキサスではアングロサクソン系の人口がメキシコ系の人口を圧倒するようになる。

米国南部からの移住者は奴隷を持ち込んでいたが、1829年にメキシコ政府は奴隷制を全面的に廃止した。1833年に大統領に就任したサンタ・アナによる圧政もあり、入植者たちは不満を募らせるようになる。スティーヴン・オースティンは入植者たちを率いてメキシコ軍への反乱を主導するに至る。やがてオースティンに代わり、サミュエル・ヒューストンが軍事司令官としてテキサス軍を率いてメキシコ軍に勝利し、1836年にテキサス共和国が誕生する。

オースティンやヒューストンによる「テキサス革命」は、はじめから十分な勝算があったものではないらしい。アングロサクソン系のテハス入植者たちによるメキシコ政府への反乱は、アメリカ合衆国からの義勇兵の加勢を得てもなお、メキシコ大統領サンタ・アナ将軍自ら率いる騎馬隊に当時の米墨国境近くにまで追い詰められつつあった。メキシコ軍は数でも経験でもテキサス軍に勝っていた。だが、連日の行軍で疲労困憊したメキシコ軍が休息を取っていたところに、ヒューストン将軍率いるテキサス軍が急襲し、混乱したメキシコ軍は潰走。

逃亡したサンタ・アナは翌日捕獲され、ワシントンDCまで連行されて、身の安全と引き替えにテキサス共和国の独立を承認させられることになる。だがそのときにはサンタ・アナは大統領を解任させられていて、メキシコ新政府はこれを認めなかった。これがやがて米墨戦争へと至る火種となっていく。もしサンタ・アナの失策がなければ、もしかしたらアメリカ合衆国がテキサスからカリフォルニアまで拡大することもなく、今もなおメキシコ北部でありつづけたのかも知れない。このオルタナティブな歴史を思い描いたことがあるメキシコ人は少なくないだろう。

このときのテキサス共和国には、コロラド州やニューメキシコ州の大半も含まれている。テキサス共和国初代大統領に就任したヒューストンはアメリカ合衆国への併合を進めようとしたが、合衆国側では、この併合に反対する議員が少なくなかった。その主な理由は、メキシコとの戦争が避けられなくなるという懸念と、新たに「奴隷州」が加入することで「自由州」とのバランスが崩れることだった。併合は独立から9年を経た1845年に、ようやく合衆国によって承認されたが、翌年に米墨戦争がはじまる。そして合衆国が米墨戦争に勝利した結果、メキシコ領カリフォルニアを含めさらに領土を拡大し、今度は「自由州」の拡大を懸念する南部奴隷州の連邦離脱によって1961年に南北戦争がはじまることになる。つまり、テキサス併合はまさに米国が今抱えている人種問題・地域格差問題・国境問題の火種になったともいえる。

テキサス州の人種構成は、2010年の統計によれば、白人70% (非ヒスパニックの白人45%)、黒人・アフリカンアメリカン12%、アジア人4%、アメリカン・インディアン1%弱。ちなみに今回の大統領選挙では、テキサス州全体ではドナルド・トランプが52%の得票で勝利したが、オースティンでは例外的に民主党支持の傾向があり、ヒラリー・クリントンが66%の得票を得ている。

今回の旅では、オースティンでのNPN総会の翌週がメキシコシティでの舞台芸術ミーティングENARTESで、このオースティンの歴史が導きの糸のようになっている気がした。NPNでもラテンアメリカ諸国との交流促進を担う多くのプロデューサーやアーティストに出会い、翌週ふたたびメキシコで出会った方も少なくない。

NPNについてはPerforming Arts Network Japanのサイトに以下の日本語記事がある。

NPNの紹介

http://www.performingarts.jp/J/society/0705/1.html

http://performingarts.jp/J/calendar/201612/s-01761.html

前NPN理事長兼CEO、MK・ウェグマン氏のインタビュー

http://performingarts.jp/J/pre_interview/1104/1.html

写真はアフリカンアメリカン文化を紹介するオースティンのGeorge Washington Carver Museum and Cultural Centerから。

(つづく・・・長くなったので、連載にします。)

テキサス州​オースティン、NPN年次総会と「アイデンティティ」 (1)テキサスとメキシコ/テハスとメヒコ へのコメントはまだありません
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ナバホ、テキサス、メキシコ

2016/12/16

アリゾナ州ナバホ・ネイション、テキサス州オースティン、メキシコシティ。期せずしてご縁が重なり、二週間で三カ所を回ってくることに。オースティンではナショナル・パフォーマンス・ネットワーク(NPN)年次会合、メキシコシティでは舞台芸術ミーティングENARTESに参加した。ニューヨークからは見えなかった「アメリカ」が見えてきた旅。

この地域は今ではアメリカ合衆国南西部とメキシコ合衆国に別れているが、テキサス革命(1835-36)~米墨戦争(1846-48)以前には同じメキシコ合衆国/共和国の北部と南部に属していた。さらに遡れば、メキシコシティはコルテスによるメキシコ征服(1519)以前にはアステカ王国の首都で、アメリカ大陸において農耕文化が最も発達したところの一つであり、今のテキサス州にあたる地域にもその影響が見られた。一方ナバホ族においては長く狩猟採集文化がつづいたが、やがてアステカなどで開発された農作物を近隣の部族から取り入れ、農耕をはじめていく。

米墨戦争以降、北米のこの地域は、人口分布も経済状況も大きく変化していった。今日オースティンは「シリコンヒルズ」とも呼ばれ、IT産業を中心に急速な発展を遂げつつある。だが国境が引かれたとはいえ、南北の往来は盛んだ。NPN年次会合でもENARTESでも、国境を超えて活動する多くのアーティストやプロデューサーに出会い、舞台芸術を通じてアメリカ大陸全体が結びついていく趨勢は「トランプ以後」においても断絶することはないように思えた。

***

ついでに名称の問題を今のうちに。「アメリカ」の歴史を語る際には、そもそもこの「歴史」を語る主体は誰なのか、というややこしい問題がある。「アメリカ」、「アメリカ人」という言葉は、「アメリカ合衆国」においては自国を指すために使われるが、もちろん「アメリカ大陸(人)」を指す言葉でもあり、他のアメリカ大陸諸国も含む。「南北アメリカ(the Americas)」という複数形の表現もあるが、形容詞(American)においてはAmericaのことを指すのか、Americasのことを指すのかはあいまいになる。この大陸で起きた幾たびもの独立革命において、「アメリカ人」という言葉は「(ヨーロッパではなく)アメリカ大陸で生まれた人」を指してきた(だからアメリカ合衆国においては国籍法においても「出生地主義」が採られている)。これと区別する意味で、いわゆるNative Americanは、ここでは「アメリカ先住民」と訳しておく。(そもそもアメリゴ・ヴェスプッチに由来する「アメリカ」という名称を冠するのも失礼な話だが。)

北米に属するメキシコも当然「アメリカ」の一部であり、メキシコ人もまた「アメリカ人(americano)」には違いない。このことは、ラテンアメリカの人と英語で話していると、よく指摘される。(そういえばカナダ人からは今のところ「自分たちもアメリカ人だ」という話は聞いたことがない。独立革命を経験していないからだろうか。)英語でもスペイン語でも、「アメリカ」という略称を避けて「アメリカ合衆国」を略したいときには、「合衆国(US / States, Estados Unidos)」と言うのが一般的。メキシコも今は「合衆国(Estados Unidos)」なのだが、何度も政体が変わっているので、こちらの方にはこだわりはないらしい。

問題は、英語で「アメリカ合衆国民」を指す適切な形容詞が確立していないことだ。スペイン語やフランス語では文脈によっては「合衆国民(estadounidense, états-unien)」といった言葉が使われるが、英語のUS American, United-Statesian, Usonian…といった言葉は今のところ(メキシコ人と英語で話すときも含め)使われるのを聞いたことがない。(それほど必要を感じる機会がないのだろうか。)ここでは、とりあえず日本語でそれなりに流通している「米国/人」を使っておく。

もう一つ、そもそも「メキシコ」というのも、スペイン語「メヒコ(México)」の英語読みなので、ちょっと気になるところではあるが、メキシコに滞在経験がある大江健三郎は「メヒコ」を採用していたものの、日本ではあまり流通していないので、Estados Unidos Mexicanosの略称としては「メキシコ」を使うことにしておこう。

・・・というわけで、追って各地のレポートをアップしていきます。

Nov. 28-Dec. 2, The Navajo Nation, Arizona

Dec. 2-5, Austin, Texas

NPN (National Performance Network) annual meeting

http://www.npnweb.org/site/annualmeeting2016/

Dec. 5-12, La Ciudad de México

ENARTES (Encuentro de las Artes Escénicas)

http://fonca.cultura.gob.mx/enartes2016-presentacion/

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メキシコから想像する

2016/12/09

メキシコシティ。タクシーのなかでメキシコと米国の演劇人がドナルド・トランプの話をしているところに、ラジオからジョン・レノンの「イマジン」が流れてきた。「国境のない世界を想像してみよう。難しいとは思うけど・・・。」全員しばし沈黙。

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