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ハバナ滞在記(2) 米国とキューバ、二重の歴史と二重経済 2017年2月20日

20世紀後半のキューバの歴史は、視点によって、大きく分けて、三つくらいはあるだろう。フィデル・カストロが英雄であった歴史。フィデルが悪夢だった歴史。そしてフィデルが英雄から悪夢となった歴史。大まかには、キューバ革命政府とその支持者から見た歴史、米国と在米亡命キューバ人の多数派から見た歴史、そして革命政府にはじめ期待を寄せ、のちに幻滅した人々(1962年以降に亡命したキューバ人も含む)から見た歴史に対応する。このうち第一の人々と第二の人々が出会う機会は、この半世紀間ほとんどなかった。ハバナで出会ったある演劇人が「もし革命後に出て行ったキューバ人たちが、ずっとこの国に留まってくれていたとすれば、今頃キューバはどんな国になっていただろう、と考えてしまう」と語っていた。今、そのキューバ人たちが少しずつ国に戻ってきつつある。キューバの人々は、この状況をどんな気持ちで眺めているのだろうか。

オースティンやメキシコシティで出会ったキューバ系米国人たちの何人かが、「1961年に米国に来た」と話していた。キューバ革命が起き、親米政権が倒されたのは1959年1月。フィデルは当初、米国との関係を保つことを模索し、同年4月にワシントンDCを訪れたが、アイゼンハワー大統領には会えず、ニクソン副大統領と会見。この時点ではまだ革命政権は明確に反米路線を取っていたわけではなかった。米国はやがてフィデルを「容共的」と見なし、暗殺と政権の転覆を謀っていく。1961年には米国に亡命していたキューバ人を中心とするキューバ侵攻(ピッグス湾事件/プラヤ・ヒロン侵攻事件)があり、革命政権によって撃退されている。その後、カストロは二年前の革命が社会主義革命であったと表明し、ソ連との結びつきを強めていき、翌年のキューバ危機へと至る。このとき米国に亡命した人々の多くは、カストロ政権は何年も持たないと考えていたという。

それから半世紀以上が経った今、二国間の演劇交流を支えているのは主に、革命自体の記憶を持たない世代となりつつある。第二世代のキューバ系米国人たちは、「祖国」キューバに対して、かなり複雑な思いを抱いている。美しい国、貧しい国。キューバの現政権に対しては当然批判的だが、キューバが米国経済に呑み込まれていくことを単純に肯定しているわけでもない。米国で育ったキューバ系米国人アーティストたちは、米国が夢の国ではないことを身に沁みて知っている。一方でキューバに住むアーティストたちが米国に行くことを夢見ていることもよく知っている。キューバが米国と接近することへの期待と、キューバが米国化していくことへの不安。米国はキューバにとって救世主なのか、あるいは侵略者なのか。キューバ人一人一人にとっても、この二つの顔が同時に、様々な度合いで見えている。これは米国とアジアの少なからぬ国との関係においても同様かも知れない。

キューバは1898年の米西戦争によってスペインから解放され、1902年に米国から独立を果たすが、グアンタナモ湾は永久租借地となり、今でも米国の軍事基地がある。ハバナの街中では今でも革命前に持ち込まれた派手なアメリカ車が現役で走っている。米国人にとって、キューバ文化はエキゾチックかつノスタルジックな、近くて遠い文化だ。それには大きな商品価値があり、それに比して、今のところはキューバの人件費は圧倒的に安い。これが米国経済に組み込まれていくと、どうなっていくのか。すでにキューバには米国からの観光客が大挙して押し寄せている。かつてはヨーロッパ系の観光客が主流だったが、七年くらい前から米国人が増えてきて、ここ二年ほどで米国人が圧倒的多数になったと聞く。

キューバが米国との国交を回復せざるを得なくなった最大の理由は、ベネズエラの経済危機にある。カストロを師と仰いでいたベネズエラのチャベス前大統領は、ソ連の崩壊で苦境に立っていたキューバに、ベネズエラの原油を安価で供給していた。だがチャベスは2013年に死去し、2014年には原油価格が急落して、原油輸出に依存していたベネズエラ経済は破綻し、キューバへの原油供給も滞っていく。この原油急落の引き金となったのが米国のシェールガス革命だった。米国は、いわばシェールガスによってキューバを追い詰めたともいえる。

キューバでは二年前に法改正がなされ、米国在住でもキューバ生まれであれば、キューバで不動産を購入することが可能になったという。ちなみにキューバの国籍法は米国と同様に出生地主義を採っているが、二重国籍は認められていない。ところが、かつてキューバ国籍を持っていたものがキューバに入国するには、キューバの旅券を持っていなければならない。つまり、キューバで生まれた限り、キューバに戻るには「キューバ人」として戻るほかない。米国に移住したキューバ人は富裕者が多く、米国でも特別な待遇を受けたため、米国在住のキューバ人がキューバに家を買うケースも増えている。

ハバナの旧市街には薄暗い国営店舗に混じって、ベネトン、アディダス、ナイキなどが点々と進出している。とはいえ、これらの米国企業のうちいくつかは第三国経由ですでにある程度進出していたという。そもそもハバナに米国大使館が「開設」された、といわれるが、実際のところ、だいぶ前からある通商代表部の建物に名前を付け替えただけで、人員はほとんど変わっていないらしい。米国からの直行便は長い間なかったが、メキシコ経由などで入国することは可能で、細いながらも交流の道が完全に閉ざされていたわけではなかった。

今回同じ宿に泊まっていたロサンゼルス在住のコロンビア系米国人は、親類がキューバにいるそうで、2005年頃からたびたびキューバを訪れている。以前はメキシコシティ経由で、ドアトゥードアで二三時間かかっていたのが、今では直行便ができたおかげで九時間で来られるようになったという。この方はJPモルガン・チェイス銀行で働いていて、米国の銀行の動向にも詳しかった。「米国の銀行のカードがATMで使えなかった」と話したら、「大手銀行はまだ、リスクを怖れて、キューバとの取引には手を出していない。今取引をしているのは米国では二つの小規模な銀行だけだ」とのこと。

この方によれば、多くのキューバ系の友人は「なぜオバマは革命政権を延命するような譲歩ばかり行っているのか」と怒っている、という。なぜ今とどめを刺さないのか、というのが、ヒラリーに投票しなかったキューバ系米国人たちの本音なのだろう。ちなみにこの方もトランプ支持らしく、「ラテンアメリカからの不法移民があまりにも急激に増えていて、米国の最低賃金を押し下げている。腐敗したラテンアメリカ諸国の政権は反体制派や犯罪者を米国に送り出すことで安全弁としている。最近のヒスパニック系移民は英語を学ぼうとすらしない」等々と語っていた。1960年代に米国に来たキューバ系移民第一世代も、多くは財産があり、英語もできて、他のヒスパニック系移民に比べ、社会的に成功したケースが多い。

ガイド役のプロデューサーは国立大学でデザインの授業をしている。行く前に「何かほしいものはあるか?」と聞くと、「美術やデザインの本がほしい」という。コンテンポラリーアートの本を持っていくと、とても喜ばれた。来てみて事情が見えてきた。本屋に行っても新刊書はごくわずか。とりわけ外国の本は、外国に出かける友人に買ってきてもらうしかない、という感じらしい。もちろんAmazonで本が買えたりもしない。

キューバでは基本的に個人でインターネットを使えるようにはなっておらず、特定の公園やホテルでwifiの電波を飛ばしている。公営通信会社の店舗に行って延々と並べば、一時間1.5CUC(1.5ドル)のカードを一回に二枚まで購入することができる。だがこれはけっこう大変。スマートフォンやパソコンを使っている人がたくさんいる公園に行くと、たいてい入口あたりに座っている人が「プスッ、プスッ!」と小さな声で合図してきて、一枚3CUCくらいで購入できる。

週35時間労働で、月給は20CUC(20ドル、約2400円、以下便宜的に1USD=120JPYで計算)。外国人観光客としてハバナ市内のレストランで食事をすると、ディナー一回で使ってしまいかねない金額。信じられず、一度聞き返したが、これは平均的な給料らしい。ハバナでは、月給20ドルの人のための商品と月給数千ドルの人のための商品とが、一つの通りに、そして時には一つの店のなかに混在している。

キューバには二つの通貨制度がある。外貨と交換可能なCUC(キューバ兌換ペソ、1CUC=1USD)と、国内でしか通用しないCUP(キューバ人民ペソ)。ほぼ1USD=1CUCで、1CUC=25CUP。国営食堂などではCUPしか使えず、外国人観光客はCUPを持っていない限り利用できない。外国人でもCUCをCUPに両替することはできるが、そうしてしまうとふたたび外貨に交換することは基本的にできない。

キューバ人向けのレストランなら、50CUP(約240円)くらいあれば十分食事ができる。だが、ちょっとした贅沢品はほとんどCUC建てで、米国と大して物価は変わらない。半世紀以上にわたる米国による経済制裁もあり、とりわけ自国で作っていない製品は高くつく。キューバはサトウキビ中心の植民地的農業から転作を進めてきたが、今でもサトウキビは主要作物の一つで、定期的に食糧不足が発生してきた。キューバの人に「いつもどんなものを食べてるの?」と聞くと、よく「手に入るものを」という答えが返ってくる。

1993年の個人によるドル所持解禁や2011年の市場経済の部分的導入以降、以前よりも外国製品は入ってきているが、その恩恵を受けている人はそれほど多数ではないようだ。飲食店の一部民営化は2014年にはじまっていて、ハバナ市内には真新しいおしゃれなレストランも見かける。二重経済のなかで、その分国営スーパーに出回る物資が減り、「スーパーに行っても何も買えなくなった」という話も聞く。国営スーパーの前には毎朝行列ができている。

旧市街で道案内をしてくれた方が、「あそこが私の家で、その隣に観光客がたくさん来るアイスクリーム屋がある。おいしいらしいけど、高いから食べたことはない。すごく儲かってるらしくて、最近あそこだけきれいに建て替えたんだ」と話していた。そのアイスクリーム屋のアイスクリームは2CUC(約240円)だが、国営アイスクリーム屋なら10CUP(約48円)だったりする。

今回泊めていただいたのは民泊で、一泊35CUC(約4200円)だった。だがこれも、「ふつうの」月給をはるかに上回る金額になる。ある民泊の貸し手は、一ヶ月マンハッタンで滞在してきたという。今では海外渡航は自由化されているが、多くのキューバ市民にとっては、海外旅行はとても手が出せるものではない。

キューバ人からよく聞くのは、「キューバは安全だ」ということ。特に海外経験のある人はそう語る。実際、観光客が多い旧市街などを歩いていても、不安を感じたことは今のところない。治安の問題が少ないのは、格差が小さく、貧しくてもなんとか暮らしてはいける環境があったからだろう。だがほんの数年で、観光客相手の商売をしている人とそれ以外のあいだでこれだけの格差が生じていると思うと、ラウル・カストロが引退するという2018年までに何が起きるのか、なんだか勝手に気を揉んでしまう。

(つづく)

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ハバナ滞在記(1) 米国とキューバの演劇交流 2017年2月12日

2月5日、ニューヨークからハバナへ。直行便で3時間ちょっと。強烈な日差しと、インターネットに接続されていない世界。ちょっと生き返ったような感覚。

沿道には革命と社会主義を称揚する壁画やポスター。一方で宿まで送ってくれた車には星条旗マークの飾り物があり、道行く女性が星条旗の下に大きく「USA」と書かれたTシャツを着ていたりする。

メキシコもキューバも、当初のリサーチ計画にあったわけではないが、ACCのスタッフに相談したら、「私たちは企画書ではなくて人を信頼して交流事業をやっているので」とおっしゃっていた。ACCの方々の心の広さには本当に感謝している。

米国において、ヒスパニック系の演劇は、いわば「マイノリティ演劇」というジャンルにおいて、アジア系の演劇と競合関係にあるともいえる。全米の人口構成上、ヒスパニック系の人口は近年アジア系を大きく上回りつつある。アジア系とのちがいの一つに、本国との地理的距離が圧倒的に近いということがある。その分、本国を巻き込んだ演劇交流については、アジア系を上回るダイナミズムを見せているようだ。このあたりは、日本にいたときには全く想像がつかなかったところ。一方日本においては、メキシコやキューバの演劇作品を見る機会はまずなかった。アジアの同時代的舞台芸術の位置について考えはじめたのは、そもそも演劇を通じて「世界」を描こうとするときに、欧米に比べてアジアが小さくなりがちに思えたからだ。だが米国にいると、日本ではアジア以上に扱われる機会が少ないラテンアメリカが大きな存在感を持って見えてくる。だから「世界演劇」のなかで、この地域がどんな位置を占めているのか、気になってくる。

キューバに行ってみたくなったのは、あちこちでキューバ系米国人のアーティストと出会ったからだ。オースティンでのNPN(ナショナル・パフォーマンス・ネットワーク)年次総会では、マイアミとニューヨークをベースとする振付家・ダンサー・俳優のオクタビオ・カンポスに出会った。オクタビオは近年、毎年のようにハバナに行き、キューバのアーティストたちとの共同作業をしている。今はキューバのアーティストたちとブロードウェイ向けに大きな作品を企画しているらしい。

NPN事務局でラテン・アメリカとの交流事業を担当しているエリザベス・ダウドも、マイアミ在住のキューバ系米国人だった。マイアミでは300万の人口のうち200万人がスペイン語話者だという。マイアミでは、米国を含めた(!)スペイン語圏の作品を紹介する国際ヒスパニック演劇祭も行われている。キューバ系の住民は全米で約110万人。キューバの人口が約1100万人なので、キューバ系米国人は国内人口のちょうど1割ほどに相当することになる。キューバ系米国人のうち約62万人がフロリダ州マイアミ周辺で暮らしている。キューバ系米国人のほとんどは共産党政権から逃れてきた人々。フロリダ州は大統領選挙でキャスティングボートを握る大票田の一つで、スイング・ステート(選挙のたびに結果が変わる州)。かつてフロリダ州で負けて大統領になったのはビル・クリントンのみ。これは歴代の大統領が対キューバ強硬策を採りつづけた理由の一つでもある。今回の大統領選挙でも、フロリダ州のキューバ系米国人の過半数がトランプに投票したことが、トランプの勝利に大きく貢献している。

(参考)前回大統領選でのフロリダ州におけるキューバ系米国人の投票行動について

http://www.miamiherald.com/news/local/news-columns-blogs/andres-oppenheimer/article112080317.html

http://mainichi.jp/articles/20161025/mog/00m/030/008000c

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/11/post-6241.php

そしてメキシコ舞台芸術ミーティングENARTESでは、シカゴのグッドマンシアターのアソシエート・アーティストで演出家のヘンリー・ゴディネスと出会った。ヘンリーはハバナの劇団テアトロ・ブエンディーアとの共同作業をもう何年もつづけている。ノースウェスタン大学でも教えていて、2010年から毎年学生をハバナに連れて行っているという。

これにはけっこう驚いた。米国人のキューバへの渡航は長年のあいだ基本的に禁じられていた。米国とキューバの国交が回復されたのは2015年7月。2016年3月の米キューバ首脳会談前後から米国の航空会社のハバナ乗り入れが進んだ。今ではニューヨークからの直行便もあり、300ドル以下でハバナまで行くことができる。だが、オバマ政権は以前から「学術交流」などの名目で、限定的な交流を少しずつ認めてきていたらしい。ヘンリーは「毎年政府との折衝を繰り返して、悪夢のような事務手続きをしながら」交流事業を進めていったと語っていた。ヘンリーもオクタビオも、Facebookページの背景に大きくオバマの写真を載せている。

一方で、キューバ系米国人がおしなべてオバマの対キューバ融和政策を支持しているわけでもなく、オースティンでは「私はキューバ生まれのキューバ人だ」といいながらも、「共産党政権がつづく限りふたたびキューバの地を踏むことはない」と言明するビジネスマンにも出会った。第一世代と第二世代とのあいだで意識の差もあるらしい。

http://www.nhk.or.jp/kokusaihoudou/archive/2016/11/1107.html

はじめオクタビオと同時期にハバナに行くつもりだったが、オクタビオは都合で来られなくなったので、代わりにハバナ在住のプロデューサーのエドゥアルドを紹介してくれた。エドゥアルドと打ち合わせをしているときに、「米国の財団とキューバ政府に支援を受けながら映画製作事業をしている」と聞いて、これも驚いた。今、米国とキューバのあいだで何が起きているのか。数日で理解できることは限られているだろうが、毎日少しずつ、見えてくるような気もする。

(つづく)

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「ミス・サイゴン」問題、あるいはアイデンティティをめぐる非対称性について(1) 2017年2月4日

先日アジアン・アメリカン・アーツ・アライアンス専務理事のアンドレア・ルイさんにお目にかかって、「アジア系の舞台俳優は米国の舞台で仕事を得られる機会が少ない」という話を聞いた。以下の統計によれば、この10年平均で、ニューヨークのブロードウェイと非営利の劇場において、アジア系俳優の出演は平均して4%程度に過ぎない。一方、ニューヨーク市民のなかのアジア系の比率は12%以上。

Asian American Arts Alliance

http://aaartsalliance.org/

AAPAC (ASIAN AMERICAN PERFORMERS ACTION COALITION)

http://www.aapacnyc.org/stats-2014-2015.html

まだはっきりした答えが得られたわけではないが、ブロードウェイ版『ミス・サイゴン』のキャスティングをめぐる議論が参考にはなりそうだ。1990年、ロンドンで大ヒットしたミュージカル『ミス・サイゴン』のブロードウェイ版の製作が予定されていた。ロンドン版では、フランス人の父とベトナム人の母から生まれ、狂言回し的な役割を担う「エンジニア」役に英国人の白人俳優ジョナサン・プライスが起用されて評価を得ていて、ブロードウェイ版でもこの配役が踏襲されることになっていた。

ところがプライスはアメリカン・アクターズ・エクイティ(American Actors Equity, 米国人俳優にとっての利益に配慮しつつ、米国での米国市民ならびに非市民の俳優の雇用を管理する舞台俳優と舞台監督の労働組合、以下「エクイティ」とする)によって労働許可を拒否される。しかしエクイティのメンバーたちがこれに反対する署名を集め、一週間後に特別審議会が開かれて、エクイティは一転して労働許可を認めるに至った。プライスは1991年4月に開幕したブロードウェイ版でも無事に同じ役を演じることができ、同年のトニー賞ミュージカル主演男優賞を受賞している。ブロードウェイでの『ミス・サイゴン』は、このプライスをめぐる論争の拡がりもあって、記録的な大ヒットとなり、9年以上のロングランとなった。(ちなみに今はブロードウェイで上演されていないので、実際に観られてはいません。ご覧になった方やお詳しい方、誤解などあればぜひご指摘ください。)

この問題については、NYUパフォーマンス・スタディーズ科のカレン・シマカワさんが詳細な分析をしているので(Karen Shimakawa, National Abjection. The Asian American Body Onstage, Duke University Press, 2002, Chapter I “I should be ― American!”)、以下、それに基づいて。エクイティがはじめ労働許可を拒否したのは、『M. バタフライ』で知られる中国系劇作家デビッド・ヘンリー・ファンらの抗議に基づいている。抗議の焦点は主に(1)アジア系の俳優が主要な役で舞台に立つ機会が十分にないなかで、アジア系の役ですらヨーロッパ系白人俳優が配役されてしまうことへの反発、(2)プライスによる「アジア人」の演じ方自体への反発(とりわけヨーロッパ系俳優が目張りやメイクでアジア系らしい顔を作り、ステレオタイプな「アジア人」を演じる、いわゆる「イエローフェイス」に対する反発)、の二点にあるようだ。

『ミス・サイゴン』のプロデューサーであるキャメロン・マッキントッシュはプライスの起用にこだわって、プライスが出演できなければブロードウェイ公演初日をキャンセルするとまで言明した。この労働許可拒否問題は社会的に大きく取り上げられることになる。大手紙の大半は、保守・リベラルを問わず、プライスの起用を支持する論説を発表した。

プライスの起用を支持する側の主な主張は以下の通り。すでにシェイクスピアなどの西洋古典作品で、ヨーロッパ系を想定して書かれた登場人物に黒人俳優を起用する、といった「カラー・ブラインド・キャスティング(肌の色を無視したキャスティング)」がなされてきた。だとすれば、逆にヨーロッパ系の俳優がアジア人を演じるのも「芸術上の自由」ではないか。そして、これを認めないのはむしろ「逆差別」なのではないか。

この主張は『ミス・サイゴン』制作側の説明にもとづくもので、実際にキャメロン・マッキントッシュも『オペラ座の怪人』の主役に黒人のロバート・ギロームを起用しており、またその直前にやはり黒人のモーガン・フリーマンが『じゃじゃ馬ならし』のペトルーキオを演じたり、デンゼル・ワシントンが『リチャード三世』で主演したり、といった例があった。この作品のキャスティング・ディレクターはさらに、アジア系で45歳~50歳で、プライスと同じくらいの古典的演劇出演の経験があり、国際的な名声を得ている俳優がいれば見つけていただろうが、「世界中を探してみたうえで」見当たらなかった、と説明している。

というわけで、アジア系演劇人の抗議は、最終的に、論争に加わった米国の多くの「識者」から、「芸術上の自由」を侵害しかねないものとみなされることになった。だが、この抗議は本当に不当なものだったのだろうか。

ファンとともに最初の抗議に加わった俳優のB. D. ウォンは、「私たちは自分たち自身の肌の色の役を演じる機会も十分に与えられておらず、(フリーマンやワシントンのような)「非伝統的」なキャスティングのために闘う状況とはほど遠い」と語っていた。そもそもこの時代、アジア系の舞台俳優が「国際的な名声」を得られうる機会はほとんどなかった。ブロードウェイで上演された、アジア系の男性が主要な役を演じる作品は、『王様と私』や『太平洋序曲』など、数えるほどしかない(ちなみに1976年に初演された『太平洋序曲』ではイースト・ウェスト・プレイヤーズのマコ・イワマツとパン・アジアン・レパートリー・シアターのアーネスト・アブバが共演している)。

実のところ、先ほどのキャスティング・ディレクターの説明は、あまり正確なものではなかったことが分かっている。「世界中を探してみた」のはヒロインのキム役の女優と、その他のベトナム人の脇役についてであり、実際にヒロイン役にはフィリピン人女優レア・サロンガが起用された(サロンガはプライスとともにトニー賞ミュージカル主演女優賞を受賞している)キム役については、白人女優が目張りをして顔に黄色あるいは濃い色のメイクをして演じる、という選択肢ははじめからなかったようだ。つまり、「オリエンタル・ビューティー」にはアジア系の女優が必要だ、というプロデューサー側の判断があったわけである。

一方「エンジニア」役については、早々にプライスの起用が決まっていて、アジア系の俳優は実際のところ、特に検討された形跡がない。ここで分かるのは、英国においても米国においても、「オリエンタル・ビューティー」は(英国や米国で無名の女優であったとしても)すでに商品価値を持っているのに対して、アジア系の男優は集客に必要な魅力を持っているとは見なされていない、ということだ。

キムは17歳で売春婦となっていて、初めての客となった米軍兵クリスと恋に落ち、子どもを宿す。クリスはそれを知らず米国に帰国し、米国人の白人女性エレンと結婚する。キムはクリスの帰還を待ちわびるが、クリスはエレンを伴ってヴェトナムを訪れる。クリスが結婚したことを知ってエレンは絶望し、子どもがクリス夫妻によって米国で育てられることを望んで自殺を遂げる。ここでキムは、米国人白人男性にとって、いわばきわめて都合のよい存在として描かれている。(・・・とまとめると、クリスがひどい人間のようだが、あちこちでクリスの行動を倫理的に正当化する仕掛けがなされている。)

一方「エンジニア(「やり手」「世渡り上手」というようなの意味らしい)」は、売春宿を経営し、キムやキムの息子を利用してなんとか米国に渡ろうとする、という、いわば汚れ役である。父親がフランス人ということになってはいるが、たまにフランス語が出てくる以外、特に「ヨーロッパ系」であることが強調されることはない。パン・アジアン・レパートリー・シアターの創始者ティサ・チャンは、フリーマンがペトルーキオを演じたり、ワシントンがリチャード三世を演じたりするときには「白塗り」する必要はなかった、ということを指摘している。ここでプライスが濃い色のメイクをし、目張りをしたのは、明らかにこの「狡猾なアジア人」のステレオタイプを演じるためであり、「肌の色を無視した」役柄を演じるためではなかった。つまり、ここで問題となっていたのは、アジア人(あるいはアジア系米国人)が自ら、自分自身の表象を統御する機会が十分に与えられていない、ということだった。

(つづく)

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パン・アジアン・レパートリー・シアター芸術監督ティサ・チャンさんのお話 2017年1月31日

昨日パン・アジアン・レパートリー・シアターの芸術監督ティサ・チャンさんにお話を伺うことができた。アジア系米国演劇のパイオニア的存在。他にも関連の書きかけメモが溜まっているのだが、とりあえずまとまったので。

Tisa Chang

https://en.wikipedia.org/wiki/Tisa_Chang

パン・アジアン・レパートリー・シアターPan Asian Repertory Theatreは1977年創立、今年で40周年。東海岸ではじめてのアジア系米国人によるプロの劇団。(西海岸ではマコ・イワマツらによりイースト・ウェスト・プレイヤーズEast west playersが1965年に創立されている。)

http://www.panasianrep.org/

ティサ・チャンさんは重慶で生まれたが、1946年、6歳のときに両親とともに渡米。両親は演劇活動が盛んな南開中学・高校で中国近代劇を代表する劇作家の曹禺や周恩来と同窓生。周恩来も芝居をやっていた。父親は蒋介石率いる中華民国の外交官だった。マンハッタンの舞台芸術専門の高校やバーナード・カレッジで音楽を学び、ダンサーとしてキャリアを出発。やがて俳優としてブロードウェイやハリウッドで活躍した。1950年代から60年代にかけて演劇活動をはじめた頃は、米国育ちでも、中国生まれということで、常に外国人扱いされていた。1977年にパン・アジアン・レパートリー・シアターを立ち上げた当初も、よく「マイノリティーシアター」と呼ばれた。

出発点はラ・ママ実験劇場のエレン・スチュワートとの出会い。エレンは1973年、私がはじめて演出した京劇の翻案『鳳凰の帰還The Return of Phoenix』に5,000ドル出資してくれた。この作品は大ヒットして、CBSテレビが買ってくれ、その後の活動につながった。ラ・ママでは中国系やアジア系の俳優とギリシャ悲劇、シェイクスピア、チェーホフ、ゴルドーニなどを上演。『真夏の夜の夢』では、普段は英語を話していて、魔法にかかると中国語を話す、という設定にした。自分たちの劇団は「アジア系米国人による古典劇の劇団」だと考えている。コメディー・フランセーズやモスクワ芸術座のようなレパートリーシアターがモデル。

日本の作家では安部工房、清水邦夫、三島由紀夫のサド公爵夫人などを1970年代にいち早く紹介。また、エドワード・サカモト、ワカコ・ヤマウチなど、それまでほとんど上演されることがなかった日系劇作家第1世代の作品も、やはり70年代に紹介していった。

当時はアジア系アメリカ人のプロの舞台俳優はほとんどいなかったが、私たちが出演した俳優にきちんと報酬を支払って、プロにしていった。その当時の主流はジョン・オズボーンのような「抵抗演劇」。それに対して、パン・アジアン・レパートリー・シアターがベースとした中国、インド、日本の伝統演劇は儀礼的祝祭的で、音楽や舞踊が重要な位置を占めている。それぞれの俳優が独自に学んできたものを、出自が異なる他の俳優とも共有していった。自分たちが演劇を始めた頃はアカデミックな演劇教育のシステムはほとんどできておらず、演劇学校に通ったり、個人的にレッスンを受けたりしていた。私はウタ・ハーゲンからレッスンを受けた。

私たちは訓練をベースにした卓越性と言う基準を守りつづけている。それに比べると、今の若い俳優は十分な訓練とディシプリンを獲得しておらず、表面的な作品が多いような気がしている。

創立して三年目の1980年にはニューヨーク市アーツカウンシルから「重要機関Primary Organization」と認められ、今までフォード財団などの財団のほか、国立芸術基金(NEA)やニューヨーク市、ニューヨーク州などから継続的に支援を受けている。2008年のリーマンショック以降、財団の支援システムが大きく変わって、苦労もある。

国内各地のほか、エジンバラ、シンガポール、カイロ、ヨハネスブルクなどでも公演。2003年にはハバナ演劇祭に招聘されたはじめての米国の劇団となった。

ルーシー・リューなど、ハリウッドに進出した俳優も少なくない。ただ、多くの俳優は、ハリウッドを目指すのではなく、私たちの舞台に立つことを望んでくれた。

認められるためには、他の米国の演劇人よりも2倍も3倍も働かなければいけなかった。(昨日も、月曜日で他の劇団員は休んでいたが、チャンさんは事務所に来て一人で働いていた。「私はiPhoneとかは使っていないので、パソコンに向かう時間を取らないとメールの返事も書けないから」という。)

重要なコラボレーターの一人、アーネスト・アブバさんのお話。アジア諸国ではナショナリズムが強く、国と国との間に緊張がある場合が多い。だが、米国では「パン・アジアン・シアター」が可能だったのは、米国にはアジア的なナショナリズムはなく、きわめて個人主義的なので、「みんなで一つになる」といった集団ではなく、一人一人が個性を保ったまま一緒に仕事をする、というスタイルを取れたからだという。

以下にチャンさんが詳しく来歴を語るインタビューがある。

https://www.tcg.org/Default.aspx?TabID=4347

先週、新作『秘寺での出来事INCIDENT AT HIDDEN TEMPLE』の幕が開いたところ。来年公演予定の次回作はパキスタン出身のムスリム作家の作品とのこと。

パン・アジアン・レパートリー・シアター芸術監督ティサ・チャンさんのお話 へのコメントはまだありません

「ポスト真実」の政治 2017年1月29日

「ポスト真実」の政治などというが、未だかつて地球上で、「真実による統治」が実現したためしはない。これがあったかのように思うのは、知的エリートによる情報管理が可能だった近過去に「哲人統治」の理想を投影しているに過ぎない。

経済については、ずっと以前から「思惑」や「思惑の思惑」によって動くことが容認されている。むしろ恐ろしいのは、生の枠組み自体を決定する政治が経済に服従し、政治に経済と同じ速度が求められるようになりつつあることだ。(昨日一月ぶりに再会したニューヨーク大学のイラン人の学生は、「イラン人の入国ができなくなるので、国に帰れなくなった」という。)良くも悪しくも、アテナイの口頭による直接民主主義に近づいてきたのかもしれない。

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ウィーメンズ・マーチ 2017年1月27日

2017121

前夜、アリソン・フリードマンの家に集まった人たちでポスター作り。

朝10時に議事堂近くの広場に集合、との話だったが、10時過ぎにアリソンの家を出発。地下鉄は超満員。一本やり過ごして、なんとか二本目に乗り込む。土曜日だが、平日のラッシュ時よりも乗降客が多かったという。11時過ぎに議事堂最寄り駅に着く。議事堂に近づくに連れて人が増えていく。昨日の就任式よりもはるかに人が多い。男性も結構いて、安心した。

耳がついたピンクのニットキャップをかぶっている方がたくさんいる。これは「プッシーキャット」を意味するのだという。

時々小雨が降るが、幸いそれほど寒くない。マーチは午後1:15に始まると聞いていたが、なかなか始まらない。多くの人は手書きで思いの「サイン」を書いて掲げている。アリソンの家に集まった人たちは中国語ができる人が多いので、「中国からトランプへ。グレート・ウォール(万里の長城)はうまくいかなかったぞ」というサインを英中二カ国語で作ったら、道行く人にawesome!などと声をかけられた。サインは本当に様々で、中には「パレスチナ解放!」といったものもあれば、ごく稀に「家族計画を増やして中絶を減らせ」というリベラル派らしくないものも見かけたりする。

声の通る人が節をつけて耳なじみのいいキャッチフレーズを叫ぶと、周りの人がついていく。”my body, my choice”, “black lives matter”, “we need a leader, not a frequent tweeter”, “we’ll not go away, welcome to your first day!”等々。以前宮内康乃さんがニューヨークのデモのときに「音楽の生まれる瞬間に立ち会っているよう」と言っていたのを思い出した。

午後2時近くなって、ようやく行進が始まった。

著名人のスピーチやライブなどもあったらしいが、いつどこでやるのかは公表されておらず、結局一度も出会わなかった。だが、それもまたよかった気がする。ふつうの市民が、主張はけっこうばらばらのまま、とにかく自分の思っていることを書いたり叫んだりして歩く、というのが、近代で最も古い民主主義の歴史をもつこの国ならではのことのように思えた。”we gonna show, what the democracy look like!”というリフレインが心に残った。

午後10時の便でシカゴへ。直行便が高騰していて、ふつうは二、三時間のところ、フロリダ経由で10時間近くかかることに。電車では17時間くらいかかって翌日の舞台に間に合わないので、仕方なく。

夜のワシントン発オーランド行きの機内は、ウィーメンズ・マーチTシャツを着た女性同士がハイタッチしているのをトランプTシャツを着た男性が片目で眺めている、という他ではあまり見られなかった状況。フロリダ州は大統領選で票が分かれ、最後まで勝敗が決まらなかった州の一つ。フロリダに戻ったら、この人たちが対話を交わす機会はどれくらいあるのだろうか。

(おまけ)以下、Kumi Smithさんによるウィーメンズ・マーチで見かけた「サイン」、聞こえたキャッチフレーズ集

From the poetic to the profane, a catalogue of all the signs seen at the DC women’s march today:

–Rest of the world: we are sorry!

–Books not crooks

–Read more, tweet less

–I can’t believe I’m still protesting this shit

–Urine a lot of trouble

–Dump trump

–White silence = white violence

–Melania, blink twice if you need help

–Nobody likes you

–Screw us and we multiply

–You’re so vain you probably think this march is about you

–Show us your taxes

–Science is real

–Words matter

–GOP so small it fits in your uterus

–Patriarchy is for dicks

–Feminist AF

–OMG GOP WTF

–Tired of Trump already

–Grab them by the constitution

–Our children are watching

–Resistance is fertile

–What Meryl said

–Queer as Fuuuuu

–There will be hell toupe

–Tomorrow there will be more of us

–Nasty women seeking bad hombres, must love tacos

–Slay the patriarchy

–Let’s discuss the 🐘 in the womb

–Can’t combover mysogeny

–Seas are rising, so should we

–Make America good again

–Whit house white power

–Girls just want to have fundamental rights

–We will overcomb

–My family fled Russia for this?

–I may be gay but I can see straight through your BS

–Climate is changing why aren’t we

–We are not ovary-acting

–Cervix says: not my president

–This march doesn’t end today

–Don’t g̶e̶t̶ raped̶

–Global mourning

–Take your rosaries off my overvaries

–Our rights are not up for grabs, neither are we

–Fight like a girl

–Equal pay for equal work

–Science is real, unlike Trump’s tan

–I’d call him a cunt but he’s not warm or deep enough

–Patriots don’t grab pussy

–Sexual predator in chief

–I got 99 problems and white heteronormative patriarchy is all of them

–Separation of state and vagina

–You tweet, we march

–Eat pussy, don’t grab it

–Viva la vulva

–Watch his policies not his tweets

–There is no force more powerful than a woman determined to rise

–Keep public land in public hands

Rachael Cleghorn Veto the Cheeto!! 😆

Sami Khoury They do say that the best art is born from struggle.

Josefine Dz 1. “Patriots dont grab pussy was my friends sign – we were so close!

2. Another good one “Trump has 99 problems and THIS BITCH IS ONE.”

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大統領就任式

2017年1月20日

11時半から大統領就任式。近いエリアで見られるチケットを数日前に申し込んだつもりだったが、遅かったのか届かなかったので、仕方なくチケットなしで入れるというエリアに行ってみる。

途中で抗議活動も見かける。11時過ぎに連邦議会議事堂前に着くと、長蛇の列。昨日のウェルカム・セレブレーションに比べれば有色の人々の割合が多く、トランプに反対する立場を表明するバッジなどを身につけて参加する人もそれなりにいる。以下によれば、やはり白人が大多数ではあったようだが。
https://www.indy100.com/article/trump-inauguration-white-crowd-diverse-pictures-7538011?utm_source=indy&utm_medium=top5&utm_campaign=i100

仮面をかぶり、顔を隠して参加する五人のグループ。仮面を取ると「ノー・トランプ」とペインティング。「バイカーズ・フォー・トランプ」のメンバーから「ここはおまえらが来るところじゃないぞ」と声がかかる。「支持してなくても私たちの大統領なんだから、就任式を見にきてやったんだ。今こそ一つにならないと。」「ここはおまえらにとって安全なところじゃない。カメラに向かって微笑んでみな!」等々。

隣にいたMy Body My Choiceというバッジ(翌日開催予定のウィーメンズ・マーチのモットーの一つ)をつけた女性に声をかけられる。ニューヨークから来た学生で、ジャーナリスト志望だという。「あなたもニューヨークから?なんで来たの?」「ニューヨークではトランプ支持者に会う機会がないから」「そう、私もそう思って。あ、ちょっと声が大きいかも。気をつけて!」

持ち物検査がなかなか進まない。あとで聞くと、一部で抗議活動が暴徒化したせいもあったらしい。12時くらいになんとかゲートを通過したものの、チケットなしで入れるエリアにはスクリーンすらなく、声もよく聞こえない。携帯で生中継を観ている人も。時々演説に反応して声を上げる人もいるが、今ひとつ盛り上がらない。失敗。

なぜかトランプの演説中なのに、レッドチケットエリアから出てくる人も少なくない。スクリーンが小さく、そこでも見にくかったのかも知れない。

国家が聞こえると、沿道の警官たちが手を額にかざす。トランプ支持者の一人も真似するが、他の人たちはただ聞くだけ。

あまりに議事堂からもスクリーンからも遠く、2時間後にはパレードが通ると聞いたものの、体調も今ひとつだったので、今日は早めに退散。

アリソンの家に戻って、テレビで就任演説を見ていたアリソンのお母さんの感想を聞くと、「思ってたほどひどくはなかったけど、これまでの大統領の演説に比べて、哲学的な深みが全くなかった」とのこと。

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大統領就任式記念コンサートと表象の寡占という問題 2017年1月24日

2017年1月19日

ワシントンDCに来たかったのは、高校時代の同級生が記者としてここに赴任していることを知ったためでもある。

お昼をご一緒して、大統領選についていろいろ伺った。プロレス経験の後にキャラクターが変わったという話もあり、トランプの言動がどこまで「演技」なのかには議論があるらしい。ここまで世界の行く末を左右するパフォーマンスもなかなかないだろう。

今日は午後四時から、リンカーン記念館前で「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン!ウェルカム・セレブレーション」がある。

http://www.independent.co.uk/…/donald-trump-inaugural-conce…
https://en.wikipedia.org/…/Make_America_Great!_Welcome_Cele…

ホワイト・ハウス前の通りを「バイカーズ・フォー・トランプ」が爆音でハーレー・ダヴィッドソンを飛ばしていく。ホワイトハウス前からリンカーン記念館までは徒歩で30分くらい。近づくに連れて人が増える。記念公園の入り口で荷物チェック。「バッグを持っている人はこっちの列に!」と叫んでいる女性は「ドナルドがヒラリーに勝利するDonald Trumps Hilary」というティーシャツを着ている。裏には「魔女は死んだThe witch is dead」。

ぱっと見たところ95%以上は白人だが、ごくたまにアジア人も見かける。スペイン語も時々聞こえる。ウィーメンズマーチのバッジをつけた人も。黒人は周囲には数人しかすれ違わなかったが、10人くらいの「ブラックズ・フォー・トランプ」というグループが通りかかると、歓声を呼んでいた。

リンカーン記念館前の客席には招待状を持っている人以外は入れず、それ以外は記念館前に延びる運河沿いに設置されたスクリーンでセレモニーの様子を観ることができる。前座として、「ザ・レパブリカン・ヒンドゥー」というインド系のグループがボリウッド風ダンスを披露している。

午後3:45頃、無名戦士の墓に花輪を手向ける儀式。ジャレド・クシュナー夫妻が出てきたところで大きな拍手。トランプが出てくると「USA、USA!」と連呼。

「バイカーズ・フォー・トランプ」の革ジャンを着た男性が隣の中国系の男性に、なぜトランプを支持するか、経済統計の数字を挙げながら熱く語っている。「俺の年収は4000万ドルだが(注:全然そう見えないのがすごい)、そのうち40%は税金で取られている。それがオバマ政権では敵国の支援に回されたりしている。ヒラリーになったらもっと税金が上がるという。やってられるか。どうせ税金をとられならアメリカのために使ってほしい。今の中国や日本との貿易はフェアじゃない」等々。

軍楽隊が国家の演奏をはじめる。ほとんどが白人だが、国歌を独唱するのはなんとアジア系の軍人。そのあと、インド系のドラマー「ラヴィ・ドラムズ」によるソロ・ドラム・パフォーマンスに乗せて50州の名前が次々に投影される。(ここではドラムセットに書かれたYAMAHAの文字がスクリーンにかなり大きく映っていて、「米国第一」のはずなのに大丈夫かな、と余計な心配をしていたら、だんだん映らなくなっていった。ちなみにあとで「ピアノ・ガイズ」が演奏するピアノもスタンウェイではなくヤマハ製だった。)そしてソウルの大御所で黒人のサム・ムーアと、黒人合唱隊による『アメリカ』。「ソウル・マン」で知られるムーアは今年81歳。かつて公民権運動に参加したこともあるというムーアは、「みんなで手を携えて新たな大統領と一緒に働いていかなければならない」という声明を発表している。

この日の参加アーティストと、参加に関する声明については以下を参照。
http://www.vulture.com/…/donald-trump-inauguration-performe…

ここまでは一見すると、人種問題にかなり配慮しているように見える。だが全体を通して見れば、「有色」のアーティスト(「多様性」担当の)をいわば前座扱いでなるべく早めに出しておいて、後半の盛り上がりは白人のアーティストで作っていくことを正当化する戦略があることが分かる。その後に出演するのは主に南部のカントリー歌手で、最後はモルモン・タバナクル合唱団。歴史的経緯から、モルモン教徒には黒人はかなり稀で、この名高い合唱団にも黒人メンバーは360人中数人しかいない。タバナクル合唱団はかつてニクソン、レーガン、ブッシュ父子の就任式にも参加している。

たしかカントリー歌手の一人の歌のなかで「白人だとか黒人だとかで、なぜお互い傷つけあうのか?」というのがあったが、非対称性をもった関係を「お互い(each other)」という表現で語るのが微妙だと思ったら、帰り道に「黒人もヘイトクライムを煽っている」というメッセージTシャツを着た白人の男性を見かけた。

米国は「国家のために国民一人一人が命を捧げる」ことを可能にする近代的ナショナリズムの表象体系を最も早く築き上げた国でもある。とりわけコンサートの後半では、このイデオロギーを個人の自発的意志として語る歌が多かった。

カントリー歌手リー・グリーンウッドの『ゴッド・ブレス・ザ・USA』は準国歌とも言われる歌で、トランプ陣営のキャンペーンにも使われていた。最も盛り上がった場面の一つ。

「今日ここで暮せるという幸運の星に感謝しよう
自由のために立つ旗は 誰も奪えはしない

アメリカ人であることに誇りを持つ
とにかくここは自由だから

忘れてはならないだろう
私に自由を与えるために亡くなった人たちを

喜んで立ち上がろう
今日アメリカを守るために君に続こう
だってこの国を愛しているのは間違いないのだから

合衆国に神のご加護あらんことを」

(翻訳は以下より)
http://igusa.doorblog.jp/archives/27930048.html

この日出演した最大のビッグネームはオクラホマ州出身のカントリー歌手トビー・キース。キースはブッシュ、オバマのためにも歌っていて、トランプを祝福するのと同時に「バラク・オバマの8年間の奉仕に感謝する」とも述べている。イラクやアフガニスタンでも米軍のために200回以上歌ってきたという。

なぜ神はとりわけアメリカ合衆国を祝福するのか。合衆国大統領は「グローバル・リーダー」だという大統領就任式チェアマンのトム・バラックの演説、トビー・キースの軍人だった父に捧げる歌や最後のタバナクル合唱団による「リパブリック讃歌(グローリー・ハレルヤ)」などを聞いて、その論理がちょっと腑に落ちた気がする。なぜならアメリカ人は身を賭して(この国の国民の、時には世界の)自由のために戦っているからだ。「神の真理が前進していく」ために。アメリカ人は自分たちが自由でいられるために戦って死んでいった軍人たちを敬わなければならない。そして世界の人々も。

「主が人々を聖きものとするため死したように、我らを人々を自由にするため死なしめよ
そして神は進み続ける

栄光あれ、栄光あれ、神を称えよ!(Glory, glory, hallelujah!)
主の真理は進み続ける

世界は主の御足台となり、時の[悪しき]魂は主のしもべとなる
我らの神は進み続ける」
(「リパブリック讃歌」抜粋、邦訳は以下より)
https://ja.wikipedia.org/…/%E3%83%AA%E3%83%91%E3%83%96%E3%8…

後ろにいたテキサスから来たという70代の白人男性はティム・ラシュロー(元リトル・テキサス)の「ゴッド・ブレス・テキサス」で涙を流していたが、ニューヨーク育ちのトランプがやたらと南部のカントリー歌手を持ち上げるのもちょっと奇妙な話ではある。このコンサートでは、なかなか出演してくれるアーティストが見つからない、というのが話題になっていた。特に若い世代のアーティストは名前の知られたアーティストがほとんど出演していない。「ラヴィドラムズ」が三回目に登場した際には、「もう見飽きた」ということなのか、周囲からブーイングの声も聞こえた。

1/21に予定されているウィーメンズ・マーチの方が、「大物」アーティスト(基準にもよるが)の登場が見込まれている。2009年のオバマ就任時のウェルカム・セレブレーションにはビヨンセ、ブルース・スプリングスティーン、U2、スティーヴィー・ワンダー、ボン・ジョヴィなどが出演して40万人を集めたのに対して、今回の来場者数は1万人程度だった。
http://www.independent.co.uk/…/donald-trump-inaugural-conce…

このあたりで気になるのは、この国における表象の寡占をめぐる問題だ。記者の友人から、ワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズなど大手の新聞はほとんど民主党支持で、共和党支持の重要なニュースメディアはFOXニュースくらいだ、という話を聞いた。これは今回の大統領選挙でトランプ当選を予想した大手メディアがほとんどなかった理由の一つでもある。

ニューヨークやワシントンD.C.やハリウッドのリベラルなメディア関係者の多くには、メディアを通じて国民を先導しているという意識を持っている一方で、中西部や被都市部の住民の多くは、マスメディアは自分たちの思いを代弁してくれない、と感じているのだろう。この構造がトランプ当選の背景にあるのだとすれば、反トランプ派が「トランプの就任記念イベントにはほとんど大スターが登場せず、観衆も大して集まらなかった」と言い立てることは、この溝を深めることにしかならないようにも思う。

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ニューヨーク、ワシントンDC、北京 2017年1月21日

2017118

ニューヨークからワシントンDCへ。大統領就任式とウィーメンズ・マーチの見学に。明日1/19にはウェルカム・セレブレーション、1/20に就任式、そして1/21にはプロテストの意味も込めたウィーメンズ・マーチがある。ニューヨークの一月の舞台シーズンが一段落したので、こちらの方が見ものが多いのではないかと思った。

もう一つの目的は、米中文化交流のキーパーソンの一人、北京の舞台芸術制作会社ピンポン・プロダクション創立者のアリソン・フリードマンに会うこと。

http://pingpongarts.org/founder/

アリソンとは二年前のインドネシアン・ダンス・フェスティバル(ジャカルタ)で一度会っていて、一週間ほど前にニューヨークで再会した。アリソンはDC出身で、この時期にDCにいて、ウィーメンズ・マーチに向けて、多くの友人が泊まりにくると聞いて、一緒にご実家に泊めていただくことになった。

ワシントンDCはニューヨーク同様にかなりリベラルな土地柄で、民主党の地盤。アリソンのお母さんは「「ノードラマ・オバマ」と呼ばれた物静かなオバマが好きだったんだけど、ワシントンの雰囲気も変わるかもね」とおっしゃっていた。

アリソン・フリードマンはオバマやクリントンの娘と同じ中学・高校シドウェル・フレンズ・スクールに通い、中国語をはじめた。夏休みに六週間日本に滞在し、利賀村で鈴木忠志によるギリシャ悲劇を観て、広島の原爆記念館で献花とスピーチをしたこともあるという。(ちなみにオバマは娘サーシャをこの高校につづけて通わせるため、あと二年はDCに住みつづけるらしい。)

そしてブラウン大学卒業後にフルブライト奨学生として北京の国立舞踊学校に留学し、その後DCのケネディ・センターで、舞台芸術で米国と中国とをつなぐ活動をつづけている。アリソンが製作元になった北京のダンスカンパニー「タオ・ダンスシアター」やワン・チョン主催の薪伝実験劇団は世界各地で公演をつづけている。

最近北京につづいてニューヨーク事務所を開設。今はワシントンDC事務所開設のため、こちらに滞在している。

ピンポン・プロダクションの活動が米中文化交流において重要なのは、米国はヨーロッパ諸国のように文化省をもたないためでもある。米国では連邦政府は文化芸術にはなるべく口も手も出さない、というのが国是となっている。そのため、フランスのアンスティテュ・フランセやドイツのゲーテ・インスティチュートなどに匹敵するほど積極的に米国文化を発信している政府系の組織はない。

中国の観客は外国で起きていることへの関心が高いため、劇場は競って外国の作品やアーティストを招聘しようとしているが、その際には渡航費や輸送費をカンパニー・アーティスト側で負担することを要求する場合が多い。西ヨーロッパ諸国であれば、政府系の助成金でそれを賄えるケースが少なくないが、米国の場合には個別のケースごとに財団や企業や個人などに資金提供を依頼するほかない。そのためもあり、中国で米国の舞台作品を観る機会はヨーロッパに比べると少ない。

日本でもこれは米国の舞台作品を観る機会が比較的少ない理由の一つとなっている。外国公演のための助成金がないわけではなく、たとえば以前SPACでネイチャー・シアター・オヴ・オクラホマ『ライフ・アンド・タイムズ』を招聘した際にはACCが助成してくださった。ピンポン・プロダクションも何度かACCの助成を受けている。米国の場合には助成の母体があまりに多様で、プロセスも基準も団体により全く異なるので、部外者には仕組みが分かりにくい、というのが最大の問題だろう。

一方中国では、米国の大学がかなり積極的に文化の発信に動いている。最大の目的は留学生の獲得。そういえばNYU(ニューヨーク大学)パフォーマンス・スタディーズ科のシェクナーの授業では、20人ほどの受講生のうち10人くらいが外国生まれで、うち5人は中国生まれだった(残りはイラン人が二人、韓国人、カナダ人、メキシコ人といったところ)。米国の大学では学費が高いかわりに奨学金制度が充実しているが、外国人学生は基本的に数万ドルの学費を定価で払わなければならない。訪問研究員として受け入れてもらっているCUNY(ニューヨーク市立大学)演劇科シーガル・シアター・センターでは、中国からの訪問研究員が四人いた。上海戯劇学院にはパフォーマンス・スタディーズを教える「リチャード・シェクナー・センター」があり、さらにCUNY演劇科のマーヴィン・カールソンの名前を冠した「マーヴィン・カールソン・シアター・センター」も設立されている。

ニューヨークでは数多くの中国人留学生や中国出身のアーティストに出会ったが、みんな英語がよくできて、米国の先鋭的な芸術への関心が高い。彼女ら(演劇・芸術系では女性が圧倒的に多い)、彼らが帰国してから10年後、20年後の中国は、だいぶ様変わりしているのではないか。一方日本からの留学生にはあまり出会っていない。

中国では2015年に教育相が「西側の価値観」を排除するよう通達を出したこともあったが、米国の作品を紹介する場合、米国を批判するようなものであれば受け入れられる可能性が高いという。幸い、米国は米国を批判する作品には事欠かない(これが米国の面白いところでもある)。そういえばCUNY演劇科の中国からの訪問研究員のうち二人まではアフリカンアメリカン文学を研究していた。二人によれば、中国の米国研究者のなかでは比較的ポピュラーな主題だと言っていたが、今にして思うと、なるほど、と思わないでもない。

DCでは何年か前に中国語と英語半々で授業を行う公立の幼稚園・小学校ができた。それも、大半は特に中国系ではない白人や黒人の子どもが、4歳から中国語で社会科や算数の授業を受けている。アリソンは10歳児のクラスで中国出身の先生が早口でまくしたてるのに学生がふつうにうなずいているのを見て驚いたという。オバマの娘サーシャが中国語を学んでいたのは知られているが、DCには子どもに中国語を学ばせたいという親が一定数いるらしい。ピンポン・プロダクションのワシントン事務所ではこの学校と提携して、中国のアーティストとのワークショップなどを行う予定だという。

トランプ政権が始動する前から、米中外交は先行きが見えにくくなっているが、「国」同士の関係だけ見ていると、この先何が起きていくのかを見誤るかも知れない。

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アメリカンズとアメリカーノス メキシコ舞台芸術ミーティングENARTES 2017年1月9日

では、米墨国境の向こう側は今、どうなっているのか。
TPAMで出会ったエレノさん、ニューヨーク大学パフォーマンス・スタディーズ科で出会ったディエゴさんに勧められて、昨年12月にはじめてメキシコ舞台芸術ミーティングENARTES(Encuentro de las Artes Escénicas)に参加させていただいた。
 
ENARTES (Encuentro de las Artes Escénicas), 12/6-12, La Ciudad de México
http://fonca.cultura.gob.mx/enartes2016-presentacion/
 
ENARTESがはじまる前日にメキシコシティに到着したので、国際交流基金メキシコ事務所の州崎勝所長にメキシコの演劇事情についてお話をうかがった。日本とメキシコの間の演劇交流はあまり多くないそうだ。近年では、パパ・タラフマラや維新派の公演はあったが、メキシコの演劇人が日本で公演した例はほとんど聞かない。佐野碩は メキシコ近代演劇の父とされ、近年メキシコの大学でも研究は盛んに行われているものの、今のメキシコの演劇人の間でよく知られているとはいいがたい。ダンスの日墨交流はもう少し多い。室伏鴻さんをはじめ、舞踏の方々が何人もメキシコを訪れていて、メキシコのダンス界にも大きな影響を与えている。
 
州崎所長から、メキシコの映画やテレビ、舞台で俳優として活躍なさっている室川孝博さんをご紹介いただいた。現在メキシコ演劇界で活動している日本人は、日系メキシコ人を除けば、ほとんど他にいないという。メキシコでは、立派な国立・公立の劇場はたくさんあるものの、そこにパーマネントに劇団が付属しているという例はまずない。多くの場合、フリーで活動している演出家や俳優が集まって作品を作っている。舞台ではまず食べていけないので、テレビや映画の仕事の合間を舞台に出演している俳優が多いが、それでも舞台で活躍することで初めて真の「俳優」として認められる、という傾向はある、とのこと。
 
メキシコは制度的革命党が1929年以来、2000年~2012年の十数年を除き、直近一世紀の大半にわたって政権を握っている(党名の変更はあったが)。制度的革命党はキューバなど社会主義諸国と交流を保つ一方で、経済的には資本主義的なシステムを取り入れ、米国との取引を増やして経済を活性化させる、という複雑な舵取りを行ってきた。「メキシコの不幸は、アメリカ合衆国の隣にあることだ」などと言われたりもするが、そのせいもあって、ラテンアメリカ諸国では最も経済的に発展した国の一つでもある。米国の側からはメキシコから米国に来る移民が注目されるが、実は他のラテンアメリカ諸国からメキシコに来る移民も数多い(米国への入国が目的の場合も少なくないが)。
 
社会主義国では、旧ソ連や中国のように、国立劇場が劇団を持ち、国立演劇学校がそこに人材を提供する、というシステムを採っていた国が少なくないが、米国は全く逆に、国が直接に劇場や劇団を作るということを極力避けてきた。国立の劇場はあるが劇団はないメキシコは、ある種中間的な仕組みともいえる。今回の舞台芸術ミーティングENARTESは国立芸術基金FONCA(Fondo Nacional para la Cultura y las Artes)が主催し、今回が8回目になる。舞台芸術の発信には力を入れているようだ。今回訪れた国立の劇場設備は全て、かなり充実したものだった。メキシコでは今年の12月16日、国家文化芸術審議会(CONACULTA)が改組されて文化省が創設された。だが経済危機の余波もあり、文化予算は逆に縮小されてしまったという。
 
ENARTESがはじまってみると、まずは米国からの参加者が多いのに驚かされた。オースティンで出会った方だけでも、10人近く再会できたのではないか(オースティンに来ていたラテンアメリカ出身の方も少なくなかったが)。しかも米国やカナダからの参加者のほとんどがスペイン語が堪能。スペイン語が母語でない人でも、仕事やプライベートで何度もラテンアメリカを訪れているようだ。カリフォルニアから来ていたアジア系のプロデューサーも「カリフォルニアで生きていくにも少しくらいはスペイン語ができないとね」とのこと。シカゴ出身のキューバ系のアーティストから、「数年前からキューバの劇団とコラボレーションをしていて、シカゴの大学生を毎年キューバに連れて行ってワークショップをやっている」という話を聞いたのにも驚いた(長年に渡って、キューバ系以外のアメリカ人がキューバに渡航するのには大きな制限があった。キューバへの学生の渡航は2011年に可能になったらしい)。
 
200人ほどのプレゼンター(作品を招聘する側の参加者)のうち、アジアからは私を含め5人。他には、やはり舞台芸術ミーティングを手がけている韓国のKAMSから2人、シンガポールのダンスフェスティバルから2人。ヨーロッパからの参加者はおそらくスペインの方が数人のみ。アフリカからの参加者には出会わなかった。つまり、圧倒的多数は南北アメリカ大陸の方だった。ラテンアメリカ諸国のなかではかなり作品やアーティストの行き来が多いらしい。
 
六日間で二十本以上のショーケースを見たが、演劇については、魅力的な俳優が多いのが印象的だった。古典を通じてメキシコの問題を語る作品に秀逸なものがいくつか。同性愛やトランスジェンダーを扱った作品も少なくない。メキシコはカトリック教徒が国民の八割以上を占めるにも関わらず、2012年に同性婚が認められている。マヤ人の女性たちが自らの日常を語る演劇作品も。北部国境地帯に住むヤキ族の鹿踊りが、笛まで日本の神楽や鹿踊りに似ていて、これにも驚かされた。
 
ヤキ族の踊り
https://www.youtube.com/watch?v=IVcEUvFHMr4
 
墨米国境の壁を扱った作品もあった。墨米国境は3,000キロに及ぶが、すでにその三分の一にはフェンスが建設されている。米国内にはすでに3,000万人ほどのメキシコ系の住民がいて、メキシコには70万人以上の米国人が住んでおり、世界で最も多くの人が行き来する国境だという。メキシコシティにいると、「経済危機」とは聞くが、米国に比べてそれほど生活水準が低いようには見えず、どうしても米国に行きたい、という事情は理解しにくい。近年のメキシコの失業率は5%以下とかなり低い。物価は庶民的な飲食店であれば米国の半分くらいだが、スターバックス(かなりあちこちにある)ではコーヒー一杯3ドル(60ペソ)くらいするのに、ビジネスマンだけでなく学生の姿も見かける。
 
だが、富裕者層と貧困層、都市と地方の格差がきわめて大きいらしい。国境に近い地方の劇場の芸術監督によれば、地方の農業労働者の賃金は一日1ドル~2ドル程度。それが合衆国側に行けば、不法移民でも一日10ドルくらいはもらえる。(ちなみにニューヨーク市の最低賃金は一時間9ドルで、2019年までに15ドルに引き上げられる予定。)だから命の危険を冒してでも壁を超え、砂漠を越えて、合衆国側に行こうとするのだ、という。
 
しかし「トランプ後」の状況については、多くのメキシコ人にとって、「壁」よりも関税への懸念の方が大きいだろう。NAFTAで関税を免除されていたメキシコ産自動車への高関税導入を掲げたトランプ大統領の当選によって、メキシコペソは急落した。メキシコペソは現在、対米ドルで十年前の半分近くの1ドル=20ペソ近くまで値を下げている。メキシコの自動車産業は世界第七位で、米国や日本メーカーも多く進出している。日本とメキシコは舞台芸術よりも何よりも、自動車産業を通じて、ある程度運命を共有している。そしてメキシコの自動車産業は対米輸出への依存度が高い。とはいえ、捨てる神あれば拾う神あり、なのか、EU離脱を決定した英国がメキシコとの貿易拡大を模索している。
 
Newsweek: BREXIT AND TRUMP MEAN GLOBALIZATION IS CHANGING, NOT ENDING
http://www.newsweek.com/great-brexit-swindle-trump-free-trade-vote-530910?rx=us
 
最終日に少し足を伸ばして、室川さんのご案内でテオティワカン遺跡のピラミッドを観に行ってきた。市内中心部からタクシーとバスを乗り継いで二時間ほど。ナバホの国から来てみると、紀元前後からこのような巨大な建造物があったことに驚く。工芸品を見ても、北米先住民のものとは手間のかけ方も図案の複雑さも全く異なる。ヨーロッパ人がここに来る以前は、むしろこちらがアメリカ大陸の文化的中心だったのだ、ということを実感させられた。
 
なぜこれだけのちがいが生まれたのか。ジャレド・ダイアモンド(『銃・病原菌・鉄』)によれば、今のアメリカ合衆国となっている地域では、農作物となりうる植物がほとんどなく、先住民によって農業が行われていた地域も、メキシコなどで開発されたものが持ち込まれてきてはじまったのだという。石のピラミッドではなく多くのマウント(土塁)を築いたミシシッピ文化は、ヨーロッパからの移民が到達する以前にメキシコからヨーロッパ由来の病原菌が到達したためにほとんどの住民が亡くなり、壊滅してしまったらしい。ナバホの国では、そもそも農業に適した土地も水もかなり限られていて、大きな人口がまとまって定住できるような環境にない。それに対してメキシコシティは、かつては巨大な湖で、何世紀もかけて少しずつ干拓して、肥沃な土と豊富な水を利用して、アステカ帝国の首都テノチティトランとして築き上げられた。
 
ではなぜ、それから数世紀で南北の力関係が逆転してしまったのか。メキシコ独立後の度重なる内乱と、米墨戦争の敗北も大きかったのだろう。メキシコの人口は日本とほぼ同じで、面積は約6倍。経済成長率は2%前後。文化的バックグラウンドの豊かさを見ても、舞台芸術の分野で、これからラテンアメリカ諸国以外でもメキシコの作品が見られる機会は増えていくだろう。
 
舞台芸術においては、アメリカンズとアメリカーノス(アメリカ大陸の英語話者/スペイン語話者)のあいだの相互浸透が進んでいるようだ。この大陸の数十年後の姿を予見しているようでもある。
 
(墨米国境地帯の歴史についてはこちら)
http://yoshijiy.net/2017/01/02/%E3%83%86%E3%82%AD%E3%82%B5%E3%82%B9%E5%B7%9E%E2%80%8B%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%80%81npn%E5%B9%B4%E6%AC%A1%E7%B7%8F%E4%BC%9A%E3%81%A8%E3%80%8C%E3%82%A2%E3%82%A4/
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