2016/09/22
リチャード・シェクナーさんのお話。1968年に『ディオニソス69』を上演していたとき、ジョン・D・ロックフェラー三世が観にいらした。公演後、声をかけてくれ、「アジアには行ったことがありますか?」と聞かれた。「ありません」と答えた。「行ってみたいですか?」と聞かれたので、「はい」と答えた。すると、名刺をくれ、「いつでも、好きなところに行っていただければ良いので、こちらにご連絡ください」とおっしゃってくれた。それで、1970年から、中国、日本、台湾、インド、マレーシア、インドネシア、パプア・ニューギニア、シンガポール等々に行くことができた。70年にインドで1ヵ月間クリシュナマチャーリヤからヨガを学ぶことができたことは、私にとって、博士論文と同じくらい重要な経験だった。また、各国で出会ったアーティストが、その後ニューヨークにも来てくれるようになった。
ジョン・D・ロックフェラー三世は1956年にアジア・ソサイエティーを創立し、ジャパン・ソサイエティの活動にも大きく寄与している。アジアとの交流をさらに深める事業を考えていた時にシェクナーと出会ったらしい。この2人の出会いがなければ、シェクナーが非西洋的なパフォーマンスの形態と出会うこともなく、もしかしたらパフォーマンス・スタディーズも生まれなかったかもしれない。こう思うと、ACCとパフォーマンス・スタディーズの間には、ある種必然的な関係があったともいえる。
(シェクナーは1970年には36歳だった。自分もまだあと40年あるのかと思えば、ちょっと希望が湧いてくる。)
※その後ACCの方に伺ったら、「ジョン・D・ロックフェラー三世ではなくて当時の理事長と会ったんじゃないかな」という説も。
カテゴリー: ACC パフォーマンス・スタディーズ
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