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アメリカを超えるもの 2017年1月2日

2016/11/11

「合衆国大統領は、確かに陸軍総司令官ではあるが、その軍隊は六〇〇〇の兵力しかない。海軍の最高命令権者ではあるが、その艦隊には数隻の艦船しかない。大統領は外国と連邦との交渉に当たるが、合衆国に隣国は存在しない。大洋によって世界の他の地域から隔てられ、かといって海洋の支配をもくろむにはなお弱体なので、合衆国は敵を持たず、その利害が地上の他の国家と衝突する事は稀にしかない。…

アメリカ人の世界全体に対する政策は単純極まりない。他の何人もアメリカ人を必要とせず、アメリカ人もまた何人をも必要としないといってもほとんどおかしくない。彼らの独立はおよそ脅威にさらされることがない。

だからアメリカ人において執行権が限定されているのは、法律のためであると同時に状況のせいでもある。大統領がしじゅう意見を変えても、国家が被害を被ったり、滅びることはない。」(トクヴィル『アメリカのデモクラシー』第一部第八章、松本礼二訳、原著1835年刊)

米国の大統領は、制度上は非常に大きな権限を持ってるように見える。だが、少なくともこの一九世紀前半の時点においては、大統領の主要な権限である外交と軍事は、フランス人トクヴィルの目には、この国にとってそれほど優先度が高いものとは映らなかった。モンロー主義が採られたのはこのような時代だった。

トクヴィルによれば、選挙によって国家元首を選ぶと、外交方針の一貫性が失われたり、さらには内戦や無政府状態といったリスクをも伴う。(この当時、フランスは立憲君主制を採っていた。)米国がこのリスクを取り得たのは、政治における外交や軍事の比重が小さく、大統領は実際のところ立法府である議会の従属的権力に過ぎないからだという。そして、各州の選挙人をつうじた二段階の選挙方式をとったのは、このような大国においては一人の指導者のもとに多数派を形成するのが困難なので、なかなか大統領が決まらないリスクを避けるためだったという(二大政党制が定着するのは一九世紀後半以降)。

トクヴィルは、大西洋の向こう側に生まれたこの国家が発明したさまざまな仕組みに対して賞賛を惜しまない。トクヴィルは「アメリカの中にアメリカを超えるものを見た」という(序文)。だが、トクヴィルはこうもいっている。「時の経過は常に、同じ一つの国民の中にも異なる利害を生ぜしめ、種々の権利を確立させる。…したがって、法が完全に論理的でありうるのは社会が生まれたその時だけである。ある国民がこの点で恵まれているのを見ても、この国民が賢いと即断してはならない。むしろ若い国民だと考えるべきなのである。」それから二世紀近くを経た今、米国はどのようにすればトクヴィルの見た偉大さを取り戻すことができるのだろうか。

カテゴリー: ACC

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