2016/10/26
米国の文化団体の「理事会」と寄付文化について。
なにしろはじめての米国長期滞在なので、何から何まで驚くことばかりなのだが、アメリカの文化団体の「理事会」というものの話も、ちょっと驚いた。例えば、ニューヨークの比較的若手の演劇集団に関する論文を読んでいたら、昨年理事の一人から、運営資金として匿名で4万ドルの寄付を受け、それによって制作者一人がアルバイトをやめて専属で働けるようになった、という話が出てきた。日本でもフランスでも、劇団や劇場の「理事」が400万円の寄付をした、という話は聞いたことがない。論文でも特筆されていたので、アメリカの若手劇団事情においてはそれなりに特殊な例ではあるのだろうが、対象と金額はともかくとして、少なくとも理事が寄付をするということ自体は「普通のこと」らしい。
以下、フレデリック・マルテル『超大国アメリカの文化力』(根本長兵衛他監訳、岩波書店、2009、p. 370-373)から。
「非営利文化団体の中枢にあるのは「理事会(ボード)」である。大美術館であろうと小さな劇場であろうと、この「理事会」が組織に対して責任を負い、無報酬で運営に当たる。裕福な寄付者はその財産と時間を文化団体に捧げ、ときには団体の運営力を注ぐあまり、その後半生全てを捧げてしまうこともある。
「理事会」のメンバー(理事)は、まず第一に、団体に多大な寄付をする人々なのであり、たいていはそれぞれの寄付可能額に応じて「理事会」の一員に選ばれている。「理事会」において、寄付は寛大さや善意に基づいて自由に行う行為ではなく、それは義務である。「ピア・プレッシャー」、すなわち仲間からの圧力。まさにこの表現がぴったりだ。・・・メトロポリタン・オペラの「理事会」に入るには毎年少なくとも二五万ドルの寄付をしなくてはならない・・・ニューヨーク・シティ・バレエの推奨額は控えめだが、それでも二万五〇〇〇ドルの寄付が必要だ。理事会のトップである理事長には、通常他の理事をはるかに上回る寄付が求められる。寄付額がずば抜けて多いことが理事長という肩書きを正当化するのであり、たいていは寄付額が多いことでその文化団体の「理事長(チェアマン)」という栄えあるポストに任命されるのだ。理事たちはそれぞれが模範となるべき寄付を行うが、それ以外の「資金集め(ファンドレイジング)」も彼らの重要な職務となっている。自分たちの人脈やネットワークを絶えず利用して、キャンペーンを張って資金を集め、そして自分たちが運営する文化団体のために寄付を蓄えていく。彼らは資金を見つけてくるからこそ、権力を持つことができるのである。
こうした理事会では、徹底した合議制に基づいて、文化団体の責任者の人選や給与の問題から、資産の投資・運用、団体の事業計画の大枠作りに至るまで、あらゆる問題を決めていく。したがってこの理事会に参加することはヴォランティア活動だが、重大な責務を課せられることになる。理事たちは時間や金銭面での重い負担を無報酬で引き受けている。通常、劇場の理事であっても観劇には入場料を払わなくてはならないし、美術館の理事でも入場券や館内レストランでの夕食は自腹を切らなくてはならない。こうしたものが寄付に対する特典として提供される場合には、それに相応する金額は税控除の対象から外れる。結局、理事は寄付者でもあり、ある意味で彼ら自身の資金の管理を任されて任されることになるわけで、それゆえ理事会に参加する事は重大な責任を伴うのである。
・・・「理事会」に参加する大半は権力の「転売」をするような、「影の実力者(パワー・ブロウカーズ)」とも呼ばれる金持ちであり、それぞれの地元で突出した資金力を誇る有力者たちなのだ。…地域の美術館や市の図書館の理事長に選ばれることでその人物が社会的な名声を獲得し、その地方で一つの成功遂げたことが誰の目にも明らかになる。」
先ほどの演劇集団の例は匿名ではあるが、少なくとも理事会のメンバーたちはそれが誰なのかを知っているはずだ。この寄付は、地方都市の名士のように、いわゆる「社会的な名声」を求めたものではないだろうが、少なくともそこには「私がこの文化活動を支えているのだ」という自負はあるのだろう。
私も昨年から舞台芸術制作者オープンネットワーク(ON-PAM)という団体の「理事」をやらせてもらっているが、時間は多少使っているはものの、「では年間100万円を基準にご寄付をお願いします」といわれていたら、到底引き受けられなかっただろう。そういえば、例えばパブリック・シアターやブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック(BAM)など非営利の(大まかにいえばブロードウェイ以外の)劇場でやっている作品のチケットを買おうとすると、よく「何ドル寄付をする」という項目が出てくる。場合によっては、デフォルトで20ドルなり寄付をすることになっていて、しないのであればその項目を外す、という仕組みになっていたりする。日本人の感覚からすれば、なんで2,000円のチケットを買ってさらに2,000円寄付しないといけないのか、と憤慨しかないところだが、この仕組みは、非営利の文化事業がそもそも有志の寄付によって成り立っているものであり、それがなければ、本来はこのような「安価」で当該のイベントを享受する事はできないのだ、ということを意識させるものでもある。このような非営利の劇場には、「資金開発部(デヴェロップメント・デパートメント)」というのがあり、いわゆるファンドレイジングを主な業務としている。
ファンドレイジングの手段としては、通常の寄付とは別に、イベントによるものもある。ちょうど昨晩、私がグラントをいただいているアジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)のカクテル・パーティー+オークションというイベントがあった。私たちグランティーはもちろん無料で参加できるのだが、一般参加者の参加費は175ドル。メインイベントは1969年のグランティー篠原有司男さんによるボクシング・ペインティング。オークションでは、ACCの元グランティーが寄付した絵画・彫刻などの作品が参考価格2,000ドル程度から購入できることになっている。先日退官されたNYUの先生のためのガラ・コンサートは参加費750~1,000ドル。それなりの身分になると、日本の結婚式よりお金がかかるようなイベントにも顔を出さなければならないようになっているのだろう。
マルテルによれば、この仕組みはとりわけ1917年に制定された税法「内国歳入法五〇一条C項三」によって、非営利文化団体が「公共の慈善団体」として、寄付の税控除が認められるようになったことに由来するという(p. 366-367)。つまり、米国においても、これはちょうど一世紀以上をかけて作り上げられてきたシステムであり、これをそのまま日本に導入したところで、とりわけ今の経済状況の中で、到底同じような結果を期待することはできないだろう。何よりも、この仕組みが機能しているのは、財界人や一般の観客のうちに「文化を支えているのは自分たちだ」という意識を作ってきたことによるのだから。
このような仕組みがあるのは、米国では政府は芸術にお金を出さないからだ、という説明もされるが、実のところ、米国でも「政府」が全くお金を出していないわけではない。その話はまたいずれ・・・。
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