Menu

能はなぜ「演劇」か? (「舞台芸術」のフレームワーク問題についてのメモ) 2018年7月18日

先日、能はなぜ「演劇」とみなされるようになったか、という話を聞いた。
6/13の日仏ギリシアローマ学会で、「能の地謡は古代ギリシャ悲劇の「コロス」と比較可能か? 」と題されたマクシム・ピエールさん(パリ第7大学、ローマ演劇)の講演。
https://www.mfjtokyo.or.jp/events/co-sponsored/20180613.html

マクシムさんによれば、初めて能を観たヨーロッパ人の多くは、「あの叫び声はチャイニーズオペラと似ている」等、中国と結びつけて記述していた。ところが明治時代に東京帝大教師のチェンバレンが「能はギリシア悲劇に似ている」と言い出して以降、その比較が外国人知識人の間で流通していき、野上豊一郎など日本人研究者もそれに倣うようになった、という話らしい。お雇い外国人が自分の雇い主に箔をつけようと、中国などと差異化しようとした、という意図もあったのかも知れない。

(cf. 能に関するチェンバレンの記述の試訳・原文英語)
「結果は古代ギリシア悲劇に驚くほど似たものだった。三単一の法則は、一度も理論化されることはなかったとはいえ、実践においては厳密に守られている。そこには同じ合唱隊がいて、同じ態度の俳優がいて、往々にして仮面をかぶっており、屋外で座っているのも同じで、全てを同じ宗教的ともいえる雰囲気が貫いている。」
Collected works of Basil Hall Chamberlain, vol. 6, Synapse ― Ganesha Publishing, Tokyo-Bristol, 2000, p. 341-342

(チェンバレン以前の記述については、以下の最近フランスで出た研究にもとづいている。Jean-Jacques Tschudin, L’éblouissement d’un regard. Découverte et réceptions occidentales du théâtre japonais de la fin du Moyen Âge à la seconde guerre mondiale, Toulouse, Anacharsis, 2014)

つまり、まず古代ギリシア悲劇が近代のtheatreの起源として遡行的にtheatreとされ、さらに能がそれに「似ている」としてtheatre と見なされて、theatre 概念が拡張されていったことになる(もちろん、これは「能は演劇だ」という言説が成立した一要素であって、他の要因もあるだろうが)。
最近能の研究をしているマクシムさん(在日フランス大使館文化部で働いていたこともあり)の発表の趣旨は「ギリシア悲劇のコロスと能の地謡は(共通点を指摘する研究者は多いが)演劇的機能をかなり異にしている」という内容。「能は能だ、theatreではない(Noh theatre is no theatre)」というのがオチ。
歴史的背景の異なる実践をまとめてジャンル分けすることには、政治的文脈などの恣意的な要素もかなり影響してくる。日本でつくられた舞台芸術がこれからどのような形で世界的に評価されるかは、どんなフレームワークが形成されていくかにも関わってくるだろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です