ライブとオンラインでは何がどうちがうのか。シンポジウム「ライブでしか伝わらないものとは何か? 〜教育、育児、ダンスの現場から考える〜」から、ちがいを説明するための材料をご紹介しています。二回目は学校教育学の佐藤学さんです
「ビジネス」として捉えると、教育と舞台芸術はちょっと構造が似ています。1人の先生が1教室で教えられる人数は限られています。教室が大きくなるほど、授業を聞きながら寝てる人も増えますよね(私もかなり経験あります)。だから教育は舞台芸術と同様に人件費が削りにくく、他の産業が機械化によって効率化するほど、相対的にコストが上がってしまいます(この現象は「ボウモル&ボウエンのコスト病」と呼ばれています)。その費用を国が負担していたとしても、今では多くの国が債務国家となり、いわゆる先進国では高齢化も進み、教育のコストを負担できなくなっていきます。当然そうなると現場にしわ寄せが来ます。
ボウモル&ボウエン「舞台芸術 芸術と経済のジレンマ」では、「(舞台芸術の)実演家というのは、他の経済活動であればぞっとするような経済状態であっても、働く意志のあるひたむきな人であることが多いので、舞台芸術は一般の賃金のトレンドに相対的に鈍感」だといいます。それでもそこに人が集まるのは、「心理所得」というのがあるからだそうです。確かに今、自分の体がやったことによって他人の眼差しが変わるのを直に見ることができる仕事というのはなかなかありません。きっと学校の先生にも、同じようなところがあるのではと思います。
でも佐藤さんによれば、今「教育産業」が飛躍的に成長しているそうです。2011年に400兆円規模だったグローバル教育市場は、2020年には600兆円にまで膨張し、自動車市場の三倍になりました。毎年約14%という他の産業分野を超える加速度的な成長をつづけています。その背景にはICTの導入と民間委託の進行があります。公教育の経費の8割は人件費で、収益が見込める事業ではなかったのですが、IT技術によって収益性の高い事業に変貌していったわけです。公立学校を民営化した企業や業務委託を受けた企業は教員をコンピュータに置き換えることで人員を削減し、利益を上げてきました。そしてコロナ禍によって、日本でも義務教育へのICT導入が急速に進みました。
でも、学校でコンピュータの使用が長時間になると、読解力も数学の成績も下がった、というデータがあるそうです(国際学習到達度調査PISAがOECD加盟国29カ国のデータをもとに2015年にまとめた報告書)。さらに、コロナ禍による学校閉鎖で、米国では授業が五ヶ月間オンラインで代替されたことにより、生徒たちの生涯賃金は600万円以上低下するという試算もあるとのこと。
世界経済フォーラムの報告書「未来の仕事2020」によれば、労働の29%はすでに自動化されていて、2025年には52%の労働がAIとロボットに代替され、労働の中心が人からAIとロボットに移行するとされています。この第四次産業革命では、頭脳労働まで技術化してしまうので、新たに創出される労働のほとんどは現在の労働より知的に高度な仕事になります。今の小中学生が大人になって就く職業のかなりの部分は、機械によって置き換えることができない職業、まだ存在していない職業になっていきます。だから、「コンピュータを使いこなす」だけでは仕事にならなくなっていくわけです。
もちろん、だからといって「コンピュータを使うのはやめよう」という話ではありません。コンピュータを使うほど学力が低下するのは、それを「教える機械(Teaching Machine)」として使うからだ、と佐藤さんはおっしゃいます。佐藤学さんは学校を「学びの共同体」とすることを提唱なさっています。教室では教師が多くの生徒に一方的に教えるのではなく、四人の生徒が机を囲んで課題について話し合い、学び合っていきます(これがコロナ禍によって困難になっているわけです)。その際に、「学びの道具」、「探求と協同の道具」として、今ではタブレットやコンピュータも活用されています。教師や保護者も、学び合いの輪を広げていきます。「学びの共同体」構想は、国内3000校以上で採用されている他、韓国、中国、台湾、シンガポール、インド、インドネシア、ベトナム、米国、メキシコ等々でも導入されているそうです。これらの国で「学びの共同体」が採用された背景には、第四次産業革命への危機感があります。佐藤さんは40年以上にわたり、毎週2、3校のペースで国内外の学校の教室に足を運び、現場の教師や生徒と対話を重ねていらっしゃいます。
舞台芸術も産業としての効率化を目指し、大きな劇場で同じ演目をロングランして収益を上げるモデルを作ってきました。しかし、ブロードウェイですら、産業の機械化が急激に進行した1960年代には経済危機に陥っていきます。これがボウモルとボウエンという気鋭の経済学者2人が舞台芸術の産業構造分析に取り組んだきっかけでした。舞台芸術が「ライブ」にこだわる限り、チケット代を値上げしつつ人件費を圧縮せざるを得なくなる。だからそれを公共財として存続させる必要があるとすれば、公的支援が必要になる、というのが2人の結論でした。
一方で、舞台芸術から派生した映画やテレビは多くの視聴者を得ることで産業として成り立っているわけなので、舞台芸術も映像配信によって一定の収益を得ることは不可能ではないでしょう。音楽の例を見ても、「ライブ」と映像の組み合わせにも、まだまだ模索の余地があるはずです。
しかし、一九三〇年代にトーキーが生まれて以降、「舞台芸術」は「ライブ」のメディアとして再定義され、結果的に「ライブでしか伝わらないこと」を探るメディアになっていきました。ここで培われた技術は、「人にしかできないこと」「人と人のあいだでしか生まれないこと」を探り、「身につける」上で、これからいよいよ重要になっていくでしょう。だとしたら、「効率が悪い」とされている舞台芸術も、これから重要な道具として見直されていくはずです。この先、舞台芸術に携わる者にとっても、「一切コンピュータは使わない」というのは難しいでしょうが、ライブの経験をつくり、分かちあっていくために、それを意識的に「探求と協同の道具」として使いこなしていく必要があるのかもしれません。
佐藤学さんのお話はシンポジウムの12:25〜です。配信は11月30日までの予定です。
コンピュータの使用と学力の話は佐藤さんのインタビューをもとにした朝日新聞の記事「学校1人1台コンピューター 「一見よさそう」の落とし穴」(岡崎朋子、2021年5月25日)、それも含めたICT教育と教育産業の問題点については佐藤学『第四次産業革命と教育の未来 ポストコロナ時代のICT教育』(岩波書店、2021年、とりわけ「3.巨大化するグローバル教育市場」、「5.ICT教育の現在と未来」、「6.学びのイノベーションへ」)で詳細に扱われています。
「ボウモル&ボウエンのコスト病」と今の日本における文化経済学(とりわけ指定管理者制度)の関係については、こんな紹介記事があります。
舞台芸術がライブに特化していった事情については『表象』誌15号「座談会:オンライン演劇は可能か――実践と理論から考えてみる」岩城京子+須藤崇規+長島確+横山義志[兼・司会]で話しています。