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「テアトロン」とは何か 2026年4月20日

古代ギリシア語で劇場を表す「テアトロン」は「そこから見るところ」という意味。だとすれば、古代ギリシア演劇は視覚的なショーだったのか。そして古代ギリシャ文明は視覚優位の文明だったのか。

それは誤解だ、というのが、相変わらず刺激的な恩師フロランス・デュポン先生のご論考。古代ギリシア語の「見るtheaomai, theōreō, etc.」という言葉は「その場に身を置いて立ち会う」という含意があり、聴覚など他の感覚も含め、自らの身体をもって目の前の出来事を受容することを意味する。それに対して「聞くakouō, etc.」という言葉は「他の人から間接的に話を聞く」という含意がある。

例えば、ソフォクレス『トラキスの女たち』では、デイアネイラが涙を流し嘆くのを乳母が「見たkateīdon」と言う。ここでは、自分が実際にそれに立ち会ったという意味。「涙を流し嘆く」という動作は、舞台では仮面を被った男性の俳優が日常会話の発声とはかけ離れた声で歌うことを表している。一方、エウリピデスの『メデイア』において、コロスはメデイアの嘆きがまだ「聞こえるaion」と歌う。ここではメデイアの嘆きは、劇場で聞かれうる嘆きの歌を通り越し、あまりにも非人間的・怪物的なものとなってしまい、間接的な記憶としてしか語れないものになったことを表している。

つまり「テアトロン」とは、観客が自らの体全体でこの非日常的な声に立ち会う場だったのであり、視覚の役割は主には仮面や衣裳によって登場人物を同定するという補助的なものだった。この意味で、「テアトロン」とはライブで、体全体で出来事を感じる場であり、「テオリアtheoria(<theory)」はそれと同じくらい納得してしまうような体験を意味していた。

・・・というわけで、足を運ぶのは面倒ではありますが、ぜひ静岡に「テアトロン」を体験しにいらしてください。宮城聰演出『王女メデイア』、5月2日から6日まで駿府城公園で上演予定です。

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カテゴリー: 古代ギリシア演劇

「アリストパネスとその周辺」、話す口と食べる口 2026年3月28日

昨日の日仏ギリシア・ローマ学会WEBセミナー「アリストパネスとその周辺」はとても面白かった。(以下、ながら聞きのうろおぼえメモなので、間違っていたら教えてください…。)近代以降の自然環境破壊の根源の一つを古代ギリシアのロゴス概念に求め、人間はロゴスによって自然を支配しようとしてきた、というような話が、近年よく語られている。アリストテレスによれば、人間はロゴスをもつ唯一の生き物(『政治学』)。だけどアリストパネスの喜劇を読むと、人間とロゴスの関係はだいぶ違って見えてくる。

例えば、借金を踏み倒すための「ロゴス」を学びに行く話(『雲』)。ここではロゴス≒屁理屈。でもそれを教えて儲けようとする人すらいるらしい。アリストパネスの喜劇では他の動物も人間と同じように話すし、みんな自分なりの理屈に従って生きている。時には人間も他の動物に学ぶべき、という話。

最後は、口と肛門はつながっているという話。人は時として排便するように言葉を吐く。自分が利益を得るために。それを聞いて、藤田恒夫の『腸は考える』を思い出した。動物の基本は口から肛門までつながる腸で、とにかく生き延びるために栄養を取り込むというのが目的。そのために触覚や味覚や嗅覚や聴覚や視覚が必要になり、そのために神経系ができ、脳ができていく。唯脳論ではなく唯腸論で人間を眺めてみれば、言葉を吐く口と栄養を取り込む口は、結局同じ目的を果たそうとしているに過ぎないのかもしれない。

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