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オーストラリア先住民芸術とアジアの舞台芸術 2017年3月10日

振り返ってみると、メルボルンで行われた今回のAPP(Asian Producers Platform)キャンプは私にとって特別な意味を持っていたような気がする。四回参加したことで見えてきたことがあった。

APPキャンプ2017について

https://www.jpf.go.jp/j/project/culture/perform/oversea/2017/02-02.html

今回のグループリサーチでは「先住民芸術 未来の顔は?Indigenous Arts ― The Face of the Future?」というテーマのグループに参加した。オーストラリアには以前にもAPAMで来たことがあったが、先住民(いわゆるアボリジニとトレス海峡島嶼人)のプロデューサーやアーティストと直接話すことができたのは初めてだった。リサーチグループのリーダーのドリーナもマオリ系で、ニュージーランドで先住民によるダンスグループを立ち上げていた人で、当事者としてこの問題にかかわっている。

私がこれまで見てきたオーストラリア先住民アーティストによる作品は白人のプロデューサーによるものだったが、今回プロデューサーたちは、先住民としての立場から先住民アーティストの作品をプロデュースすることにこだわり、それによって作品をつくる枠組み自体を変えていこうとしている。私はこれまで先住民アーティストによる作品製作に「真剣に」関わってきた白人のプロデューサーたちを何人か知っていたので、この話を聞いて、はじめは今一つ意義が分からなかったが、具体例を聞いているうちに、何が問題なのかが少し見えてきた。

例えば、映画製作のための助成金申請には、通常スクリプトを提出する必要がある。だが、先住民アーティストたちはスクリプトを提出することを好まない。それでもプロデューサーは、彼/女たちが素晴らしい作品を作るアーティストであることを知っているので、それを信頼して、スクリプトなしで助成金が得られるように助成団体を説得することに成功した。

オーストラリア先住民には、ビジュアルアート、ダンス、音楽、演劇等々といったジャンルの概念はない。一口に「アボリジニ」といっても、言語も文化も部族によって全く異なるが、今回訪れたヴィクトリア州の先住民クリン人(Kulin Nation)は、これらを全て、物語を語るための手段と考えている。アボリジニには「ドリームタイム」という概念があるとされている(正確には、アボリジニのいくつかの部族の話から西洋人の人類学者が抽出した概念、といったところだが)。全てのものが生成し、名前がつけられていく時間。この過程には完成はなく、つねにつづいていく。だから、作品の完成という概念もない。すべては常にクリエーションの過程にある。時間の概念が異なるので、タイムキープや予算管理では、いわゆる近代的な、あるいは西洋的なアプローチとは全く違う方法を取る必要がある。

すべてはアーティスト本人と直接の信頼関係を築くことにある、と彼/女たちは語る。書類やお金やテクノロジーを媒介とせず、人と人との関係を築くこと。とにかくこの人なら、最後には何かすばらしいものを見せてくれるはずだと信頼すること。お互いにそれができるようになるには、時間をかけて、真に人間同士の関係を築く必要がある。もちろん同時に、家族や友達も大事にしなければいけない。だがアーティストも友人の一人なので、それは切り離せないもの。ときには職場に子どもを連れて行って、アーティストたちと一緒に時間を過ごすこともあるという。

非先住民のプロデューサーであれば、既存の西洋的な枠組みに適応させるための妥協をしてしまいがちなところで、今回会ったプロデューサーたちは、先住民の立場や考え方にこだわり、新たな枠組みを作り出そうとしている。「メルボルン先住民芸術祭Melbourne Indigenous Arts Festival」のディレクターとなった先住民系のプロデューサー、ジェイコブ・ボエム(Jacob Boehm)はフェスティバルの名前を「イーランボイ・ファースト・ネーションズ・アーツ・フェスティバル(YIRRAMBOI First Nations Arts Festival)」に変更した。「イーランボイ」はクーリン人の言葉で「明日」を意味する。ジェイコブとメルボルン市長は、この地域の6万年の歴史を見つめつつ、ともに「明日」を夢見ていこう、と呼びかける。

イーランボイ・ファースト・ネーションズ・アーツ・フェスティバルについて

http://yirramboi.net.au/about/

http://www.melbourne.vic.gov.au/news-and-media/Pages/updates-alerts.aspx

いろいろ話を聞いているうちに、西洋近代が作ってきた芸術という枠組みを越えていける可能性がここにあるような気すらしてきた。

六ヶ月ぶりに静岡に戻って、ちょっとほっとしたのは、まだここには顔の見える関係がある、と感じたからだ。「七間町ハプニング」のあいだに街を歩いていると、あちこちで知った顔を見つけ、声をかけてもらえる。パフォーマンスがあれば、同じ人に同じ場所で、同じ時間に出会うことで、会話が生まれ、束の間の共同性が生まれる。静岡市は2015年の「官能都市」(魅力的な街)ランキングで全国12位。東京・大阪を除けば、金沢市に次ぐ2位と評価された。

七間町ハプニング

http://www.c-c-c.or.jp/schedule/2017/02/post-18.html

「官能都市」ランキング

https://www.atpress.ne.jp/news/72741

人が人を魅了し、それが束の間の贈り物となって、複数の人の間に共同性を生んでいく。この「魅力」という「贈り物」のことを、ヨーロッパでは「優美(kharis, gratia, grâce…)」と呼んでいた。私が研究対象としてきた西洋演技論においては、この「優美」という概念が重要な位置を占めている。実はこの概念は、貨幣や書面での契約によらない、人と人との直接の信頼関係の礎となるような贈与を表す概念でもある。それが転用されて、舞台芸術のパフォーマーが観客を魅了する力を表すようになっていく。つまり舞台芸術はそもそも、このような第三項を媒介としない身体と身体との関係を築くものと考えられていた。それが近代になり、口承空間に代わって書記空間が社会のなかで重要な位置を占めるようになっていくなかで、第三項としてのテクストが主要な位置を占めるドラマというジャンルが立ち現れてくる。そのなかで、「優美」という概念がテクストの媒介者としての身体がもつ魅力へと、さらに転用されていくこととなる。

この流れは国民国家の生成とも重なっている。ラテン語に代わり、一定の地域で使われていた口語であった俗語が出版言語となり、やがて絶対王政のなかで国家語へと体裁を整えていく。このなかで、口承文化としての演劇もまた、宮廷と結託したアカデミーのお墨付きを得たテクストによって媒介されることになっていく。これはコミュニティの規模の問題でもある。口語はレヴィ=ストロースのいう「真正な社会」(顔が見える関係でつながっている社会)を越えられないのに対して、出版言語はそれを越えた規模の「非真正な社会」、アンダーソンのいう「想像の共同体」を築くことができる。

これに適合したのが、アリストテレス『詩学』に見えるテクスト中心主義だった。アテナイという出身ポリスを拠点とすることができたプラトンに対して、マケドニア出身のアリストテレスはアテナイにおいて、ある種の普遍主義を唱えざるをえなかった。口承文化への郷愁が色濃いプラトンに対して、アリストテレスは、地域と時間を越えるテクストの客観性を主張せざるをえなかった。これがマケドニア帝国主義のイデオロギー的根拠の一つとなり、「ギリシア語」を共通語とするヘレニズム世界が成立していく。

今の時代は、地中海世界の中心がギリシアからローマへと移っていったヘレニズム時代の後期とよく似ている気がする。世界経済の重心が移行していく中で、世界観や価値観も移り変わっていく。ここ数世紀の間、西ヨーロッパで培われてきた価値観が世界を覆ってきたが、これに伴って、新たな価値観が必要とされてきている。だが、それはまだ見つかったわけではない。新しい価値観は、おそらくまだこれから何世紀もかけて作り上げられていくのだろう。その中で、アジア太平洋地域のいろいろな現場で活動している人々が一同に集まって、一週間のあいだ、これからの舞台芸術のあり方について話し合うというのは、すぐに目覚ましい結果が出るものではないにしても、これまであまりなかっただけに、とても貴重な機会だと思う。

APPは来年以降も存続していくことになった。次回以降はより多くの人に開かれたものになりそうだ。日本からもより多くの人が参加してくれるものになることを願っている。

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カテゴリー: APP 世界演劇