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なぜ(クロード・レジとの会話) 2019年12月27日

なぜ

日本でも多くの若いアーティストたちがレジの仕事に影響を受けている、と伝えた。

若い女優の一人も、京都の友達が何人も彼の作品に感動した、と付け加えた。

レジは彼女に、「なぜ?あんなに観るのがしんどいのに」と言った。彼女は笑っていた。

アレクサンドル・バリーによれば、その前の週にヴァレリー・ドレヴィルが訪問してきた際、レジは、静岡に戻って『室内』で一緒に働いた俳優たちに再会するのが夢だ、と語ったという。ヴァレリー・ドレヴィルの名前を聞いて、1999年に初めて見たレジの作品『誰か、来る』を思い出した(ドレヴィルはその主演女優だった)。そしてレジに、この作品のことをよく思い出している、とても感動した、と伝えた。

そこで、レジはこう言った。

「感動しつづけなさい。それが人生のなかで唯一、意味のあることだから。

俳優は作者の書いたテクストを外国語のように聞いて、それが頭の中で翻訳される。

その翻訳がよかったら、観客も感動するんだ。」

この瞬間、なぜレジがいつも「なぜ」と聞くのか、分かった気がした。本当にそれが分からないから、知りたいのだ。

私はいつも、この「なぜ」が怖かった。私にも、何度もこの質問が投げかけられたのだが、一度もちゃんと答えなかった。

心が動くには、知らないものがあるということ、自分を超えたものがあるということを受け入れなければならない。だから「感動しつづける」というのはすごく難しい。

どうも、『室内』の稽古のあいだも、レジはよくこの言葉を口にしていたらしい。俳優が「感動する」ことなく、すでに知った道をたどるとき、レジはすぐにそれに気づく。

レジのもとを去るとき、ようやく「レジさんの作品に出会わなかったら、劇場で働くこともなかったと思います」と告げることができた。

レジさんは「いいことを聞かせてくれた」と言ってくれた。

このことを制作のベルトラン・クリルさんに話したとき、「彼と働いている人の多くはそうだよ」という答えが返ってきたのを思い出した。

また彼から「なぜ」と聞かれたとき、なんて答えようか、いまだに考えている。

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カテゴリー: フランス演劇

モーリス・オーダンとラシッド・タハ、アルジェリア戦争の記憶 2018年9月30日

『顕れ』パリ日記(番外篇)として。

9/14の「ル・モンド」紙一面は、アルジェリア独立戦争の犠牲者の一人に、大統領が国家の責任を認めた、というニュースだった。

アルジェリア戦争はフランスの国論を二分する大事件で、少なからぬ「フランス人」も、アルジェリア独立のために戦い、犠牲となった。アルジェ在住の数学者モーリス・オーダンはアルジェリア共産党のメンバーで、アルジェリアの独立を支持していた。独立運動が激しくなっていた1957年のある日、オーダンは突如自宅でフランス軍の兵士たちに捕らえられ、連行される。そして妻と三人の子を残して、二度と戻らなかった。

その後の公式発表では、オーダンは移送中に逃走して行方不明、とされていた。だがそれから61年を経て、オーダンが拘禁中に拷問を受け、殺害されたことをマクロン大統領が公式に認め、アルジェリア戦争での行方不明者に関する資料を公開することを決めて、国民に証言を呼びかけた。モーリス・オーダンが誰によって、どこで殺害され、遺体がどうなったのかは、いまだ明らかにされていない。妻ジョゼットは今なお、61年前に何が起きたのかを探り続けている。

マクロンは大統領に就任する前に、アルジェにおいて、フランスによる植民地支配を「人道に対する罪」と認めている。アルジェリア独立戦争でフランスはのべ130万人の兵士を動員し、アルジェリア側の死者は45万人、フランス側の死者は3万人とされている。

『顕れ』にも、植民地支配と闘い、「死して弔われなかった魂」のことが語られている。

その魂たちは、

「いつの日か、我われへの弔いがなされるなら、

そのとき、我われの苦しみも終わる」

とつぶやく。

一面のもう一つのニュースは、フレンチロックの巨星の一人、ラシッド・タハの死だった。

心臓発作で、59歳の若さだった。アルジェリア戦争が終わったのが1962年なので、タハは3歳の時に「アルジェリア人」になったことになる。10歳で両親とともにアルジェリアからフランスに渡ったときにはアラビア語しかできなかったという。「俺たち(北アフリカ出身者)が言えるのは「エクスキューゼ・モワ(すいません)」だけだ」と、タハはよく語っていた。

「カルト・ド・セジュール(滞在許可証)」という名前のバンドで、1986年にドイツ占領下で書かれたシャルル・トレネのヒット曲「優しきフランス(Douce France)」をアルジェリア音楽を取り入れてカバーし、国中を巻き込む論争となった。来週リヨン・オペラ座で大規模なコンサートが予定されていたという。

アフリカでもヨーロッパでも、植民地時代の傷はまだ癒えてはいない。それが歴史の一頁になるには、まだもう少し時間が必要だろう。

(『顕れ』パリ日記本編はこちら)

(追記)

ラシッド・タハ、個人的に思い入れがあるのは『バッラ・バッラ』。こんな強烈なトレーラーがあったとは。

Rachid Taha, Barra Barra

歌詞の英訳がこちらに。

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カテゴリー: フランス演劇

特異点が集まるところ/オリヴィエ・ピィ、アヴィニョン演劇祭2018(第72回)によせて(試訳) 2018年7月18日

「金融界、財界、政界にとっては、メッセージは一つしかない。「この道しかない」。「この道しかない」というのが、私たちの時代の合い言葉で、政治上のプラグマティズムの定義そのものでもあるようだ。この道しかない。経済成長のみがより良い生活をもたらす。富の再分配がなされないのは必要悪だ。ビジョンといえるものを提示できるのは経済だけで、文字/文学(les lettres)は数字によって完全に置き換えられる。「この道しかない」という主張には、証拠の暴力性と数量の残酷さがある。2008年の恐るべき金融危機のあと、規制緩和、租税回避、労働の民営化、そして常軌を逸した金融投機がかつてないほどに再開され、往々にして中央銀行や政府までがそれに加担している。

いくら考えてみても、市場経済の他には道はない。市場経済自体による定式化のなかで「他の道」を考えなければならないのだとすれば。

政治権力が金融権力に徐々に置き換えられていく過程は、つねに不可避のものとして進行する。神授王権と同じように必然的なものとして。だが、世界の未来を決めている一握りの大富豪にとってこの不可避性がいかに有用なものだとしても、私たちはこれに満足しているわけにはいかない。

今度は私たちがこのように言う番だ。「文化と教育、この道しかない」と。それがもう何度も言われてきたことだとしても。聞く者のいないところで、何度も何度も叫ばれてきたことだとしても、少数者が、それに耳を傾けてくれる別の少数者に向かって語っていることだとしても。問題を、もう一つの欲望の光の下で考察してみる他に、道はない。

違う。芸術はネオリベラリストに心の慰めを提供したり、課税軽減分を精神的なもので補ったり、私たち自身の無力さと優雅で贅沢な調停をするためにあるわけではない。芸術とはまさに、何もかもが不可能であるかのように見えるとき、そして支配者たちが自分たちの権力を確かなものにするためにこの不可能性を標榜するときに、可能性の扉を開いておいてくれるものなのだ。

リベラルな世界の問題を解決するのは、もっとリベラルな世界だけだ、という論法にも、他に道はある。視点を変え、視野をより高みに移し、私たちの勝利ではなく、来たるべき世代の勝利のために闘いはじめなければならない。「歴史」は信じられなくても、まだ未来を信じることはできる人々に、明晰な見通しという絶望を乗り越えて、鮮烈さという希望へと導いてくれるのは芸術なのだ。

だが時として、私たちはなんと孤独になり、途方にくれ、気力を失ってしまうものだろうか!エネルギーに満ち、精神性をもったあの変化の力、所有よりも知識を、略奪よりも驚嘆を、無駄なテクノロジーを購入することよりも他者との出会いを欲望させる変化の力は、どうやって見いだせばよいのか。意味だけでなく地球をも破壊してしまう生活様式とは異なる道は、その力から生まれるはずだ。

長い間、人は一人では世界の暴力を転覆することはできない、と考えてきた。様々な闘争を収斂させて、反抗する群衆を作り出す政治的組織のみが世界を変えることができる、と考えてきた。だが、新世代は寄せ集めの集団よりも特異点(singularité)を信じている。特異点とは物理学者たちがブラックホールの全能の中心に与えている名だ。そこで発生する未知のエネルギーは、時間を止めるほどの強さをもつ。これは芸術というものの完璧な定義といっていいだろう。時間をねじ曲げ、不幸の連鎖を止めてしまうほどのポジティヴなエネルギーが集中する特異点。それは時間を越えた表象/上演(représentation)の神秘のなかで到来するものだ。共同体が意味の中心へと収斂すると同時に、政治上のあらゆる他の道が開ける。だからこそ舞台芸術は一つの超越なのだ。超越だというのは、それが私たちに単一の神の力を崇めることを要求するからではなく、集団のなかには特異点の集積があり、それが調和しさえすれば、本当に時の流れを変えることができるからだ。集団はそれ自体超越であり、客席の暗闇のなかでその沈黙を聞くことで、私たちは集団の経験を更新することができるのだ。

私たちは希望をもっている。政治は私たちの未来を、経済的必然性や金融の薄暗い神々に委ねてしまわないようなものに変化しうるのだ。来たるべき世代たちが可能性への陶酔をもちつづけることができるように、私たちは、別のものを欲望することを学びつつある。」

特異点が集まるところ(Singularités)/オリヴィエ・ピィ(劇作家・演出家、アヴィニョン演劇祭芸術監督)、アヴィニョン演劇祭2018(第72回)によせて(試訳)

原文:以下でダウンロードできるProgramme completやGuide du spectateurなどの巻頭に掲載。
http://www.festival-avignon.com/fr/telechargements

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