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味わいがないと意味がない 2026年7月1日

「味わい(rasa)なしでは、いかなる意味も現れない」。古代インドの演劇論『ナーティヤ・シャーストラ(演劇典範)』(第6章)のなかで、この言葉に出会って、はっとした。これまで、自分がいかに西洋的な演劇観、言語観に馴染んでいたのか、気付かされた。「はじめに言葉があった」という世界であれば、言葉にはもともと意味があったのかもしれない。だが、はじめにあったのが物質であり、身体であったとすれば、話は別だろう。

ヒトは食べて生き残り、子孫を残すために言葉を話す。そして食べるものを見分けるために味覚をもつ。「見分ける」という言葉自体、視覚優位主義の産物で、生き物としては「味わい分ける」ほうが「見分ける」よりも根源的なはずだ。「味わい分ける」とは、生き抜くうえで必要なものを選り分けることである。

演劇も詩も、言葉全般も、「味わい」がなければ意味がない。逆にいえば、私たちが生き抜くために、よりよく生きるために必要な言葉があり、詩があり、演劇がある。それを「味わい分ける」ことができるのは、身体をもち、日々なんとか生き抜いているヒトだけだ。なんだか当たり前のことだが、このことを忘れさせてしまおうとする言葉の奔流に呑まれないようにするためにも、味わいのある言葉が発せられる場所を大事にしていきたい。

カテゴリー: アジアの舞台芸術

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